いぶし銀、青木剛を忘れない

鹿島アントラーズ

鹿島アントラーズにはこれまでの歴史の中で必ず名ボランチがいました。

本田泰人、熊谷浩二、中田浩二そして現在では永木亮太、三竿健斗と日本を代表する選手がズラリと並びます。

これら豪華な選手の中でボランチとしてリーグ戦トップの出場数を誇る選手がいます。

それは青木剛です。

フィジカルが強くキックの精度が素晴らしい選手でした。

376試合8得点は鹿島歴代3位の大記録です。

失礼ながら目立つポジションではありませんでしたがチームに絶対に必要な大黒柱でした。

今回はそんな青木剛について触れたいと思います。

まず高校時代から非常に名前の知られていた選手です。

前橋育英高校では3年時はキャプテンでU-18日本代表でした。

そんな選手を各チームのスカウトは放っておくはずもなくJリーグ16チームでの争奪戦になります。

そこから鹿島アントラーズを選び2001年に入団します。

するといきなり3月3日のゼロックススーパーカップで63分に本田泰人に代わって出場します。

鹿島では高卒新人でのゼロックス初出場となりました。(1998年中田浩二はベンチ入りも出場せず。2009年大迫勇也は途中出場。)

残念ながら試合は清水エスパルスに0-3で敗れますがルーキーとは思えない堂々としたプレーを披露しました。

そして2週間後の3月17日1st第2節東京ヴェルディ1969戦で早くもJリーグデビューをします。

当時は延長戦があったため95分に柳沢敦に代わって出場しています。

そして2分後の97分には初イエローカードを貰うというおまけつきでした。

しかしこの頃は鹿島の第2次黄金期であり1年目は8試合の出場に終わります。

いくら黄金ルーキーと言えども鹿島の壁は厚かったですね。

その後は順調に出場機会を伸ばし2005年にはレギュラーに定着します。

2007~2009年のJリーグ3連覇時の小笠原満男とのコンビは歴代最強ボランチでした。

この頃選手としてピークを迎え2008年には日本代表に選出されAマッチデビューを果たします。

翌年も選ばれますが通算2試合出場0得点とあまり代表には縁がありませんでした。

2011年頃からはセンターバックも務めるようになり2016年からはDF登録に変更になりました。

そしてこの年に衝撃的な出来事がありました。

2016年1stステージ最終節アビスパ福岡戦の2日前の6月23日にサガン鳥栖へ完全移籍が発表されます。

鹿島一筋15年半での移籍でした。

ここ数年出番は減ってはいましたが鹿島で引退するとばかり思っていたのでショックは大きかったです。

勝てばファーストステージ優勝という大一番と同時に青木を気持ちよく送り出そうという雰囲気がありました。(ジネイも退団が決まっていました。)

当時シャルケの内田篤人、ケルンの大迫も青木のユニフォームを着てスタジアムに観に来ていましたね。

試合は2-0で勝っており後半アディショナルタイムにはゴール裏からその日ベンチだった青木を出せとアオキコールが響き渡ります。

ついに石井正忠監督から声がかかり青木がピッチ横に立ちますがプレーが切れずに試合終了かと思いました。

そこでブエノが気の利いたファウルで試合を止め交代のタイミングを作ります。

ブエノは自分が交代することはわかっていたため最後に青木を出すためにわざと反則をしたと後日言っていました。

こんなにもチームメイトに愛される選手もなかなか出てこないです。

無事にファーストステージ優勝と青木、ジネイを笑顔で送り出せて最高の試合でした。


サガン鳥栖を退団した後は2018年はJ2のロアッソ熊本、2019年からは東京都社会人リーグ1部の南葛SCでプレーしています。

また2019年5月からは鹿嶋市でアシスタートというインソール専門店も経営しています。

こちらは地元の群馬のBMZ社の製品のみを扱っているとのことです。

ご自身でアパレルも展開しており写真で見る限りおしゃれなお店です。

以前にネットでTシャツが注文できたので頼んだところ手書きのお礼と一緒に届きました。

こういったところに人柄が表れていますね。

コロナが落ち着いたらぜひこのTシャツを着て行ってみたいと思います。

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