荒木遼太郎に背番号13のプレッシャーはないのか

鹿島アントラーズ

荒木遼太郎の活躍が止まりません。

相馬監督になりトップ下で起用されることが多く攻撃センスが開花しています。

第27節横浜F・マリノスとの上位対決で先制ゴールのヘディングシュートを決め勝利に貢献しました。

このゴールで今季リーグ戦は9得点5アシストとなりました。

あと1得点で二桁得点です。

攻撃の選手であれば二桁得点は一つの目安になりますので早く達成して欲しいですね。

荒木は2002年1月29日の早生まれです。

そのため今シーズンは10代でのプレーになっています。

過去に19歳シーズンで二桁得点をしたのは1994年の城彰二(12得点)しかいません。

2人目の快挙達成を楽しみにしています。

そんな荒木は2020年に東福岡高校から鹿島アントラーズに入団した高卒2年目です。

1年目からリーグ戦で26試合2得点と結果を出し今シーズンから背番号26から背番号13に昇格しました。

鹿島の13番はこれまで攻撃のタレントが背負っておりエースナンバーとされています。

その伝統の番号のプレッシャーから伸び悩むかと思いましたが成長速度は増すばかりです。

本当にすごい選手になっています。

そこで今回は過去の13番の初年度のリーグ戦の成績を調べてみました。

1997年 柳沢敦(25試合8得点)
前年の1996年に富山第一高校から入団します。
Jリーグ13チームからオファーが来たという伝説を持つ中、鹿島を選んでくれました。
今でこそ高校サッカーの目玉選手が入団してくるのが普通になりましたが柳沢が第1号です。
彼が入団してくれたからこそ今の歴史に繋がっていると言っても過言ではありません。
そして2年目の1997年に背番号固定制になったこともあり13番を背負うことになります。
いきなり4月12日の開幕節ヴィッセル神戸戦にスタメン出場し44分にゴールを決めています。(5-2で勝利)
まだ当時は13番に歴史がなく伸び伸びとやれていた印象です。
高卒2年目の選手としては素晴らしい成績でした。

2008年 興梠慎三(29試合8得点)
2005年に鵬翔高校から入団します。
最初の2年は23番で2007年が17番を背負っていました。
2007年はコンスタントに出場しチームもリーグ優勝するなど飛躍の年になっています。
そして4年目の2008年に柳沢がベガルタ仙台に移籍したため13番を背負うことになります。
自ら志願して変更したとのことです。
マルキーニョス、田代有三と実力者とのライバル関係の中で揉まれ結果を出します。
チームもリーグ優勝しており完全に13番を自分のものにしました。

2013年 中村充孝(16試合3得点)
2009年に市立船橋高校から京都サンガF.C.に入団します。
最初の2年間は京都がJ1だったこともあり目立った成績は残していません。
しかし2011年にチームがJ2に降格すると出場機会を得るようになります。
そして2012年にはJ2で41試合14得点とトップ下として攻撃の中心を担うようになります。
香川真司もJ2で3年間実績を積んでから飛躍したため当時は香川2世と呼ばれることもありました。
活躍が認められ翌2013年に鹿島アントラーズに個人昇格し3代目13番を背負うようになります。
鹿島ではサイドハーフであったこともあり2019年まで7年所属していましたが初年度の3得点が最多タイでありました。

そして荒木が4代目としてエースナンバーを背負っています。

ここまでリーグ戦は25試合出場9得点です。(8月29日現在)

柳沢、興梠のようにFWではありませんが既に得点数を上回りました。

またセットプレーのキッカーを務めており攻撃の貢献度はかなり高いです。

まだ今季は試合数が11試合も残っていますので大幅な更新も期待できます。

このまま活躍していけばほぼ間違いなく3年後のパリオリンピックのメンバー入りはするでしょう。

メンバー入りどころか久保建英とのWエースになっている可能性もあります。

できればその時まで海外移籍をせずに鹿島アントラーズでプレーしていてもらいたいです。

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