2年目の監督の成績は【ザーゴ勝負の年】

鹿島アントラーズ

2021年はザーゴ監督になり2年目のシーズンになります。

昨年は来日1年目で慣れないことも多い中でさらにコロナもあり大変な1年でした。

その中である程度のベースはでき若手も多く起用できました。

さらに期待のブラジル人2人を獲得でき戦力の底上げはできています。

そのため今年はどうしても期待してしまいます。

過去鹿島アントラーズの歴史の中で2年目の監督の成績はどうだったのでしょうか。

普通に考えれば2年目の方が成績はよくなりそうですが勝負の世界はそんなにうまくいかないこともわかっています。

実際リーグ戦はどのような結果だったのか調べてみました。(1年目、2年目ともにフルシーズンを指揮した監督に限る)

ジョアン・カルロス
1996年 30試合(21勝9敗) 優勝
1997年 32試合(24勝8敗) 2位

エドゥーの後を受けて1996年より鹿島アントラーズの第3代監督に就任しました。
当時は引き分けがない時代でしたので勝ち星が多くなっています。
1996年は90分勝ちでも延長勝ちでもPK勝ちでも勝点3、PK負けが勝ち点1という今とは違う計算方法でした。
90分勝ちは17勝と2位名古屋グランパスエイトの18勝に及びませんでしたが、延長勝ちが2試合、PK勝ちが2試合、PK負けが3試合と勝ち点を拾えたことが優勝に繋がりました。
鹿島の伝統的な粘り強さはこの頃から養われてきたのでしょう。
そして前年をベースに翌年1997年はビスマルク、名良橋晃を獲得し黄金時代に突入します。
1997年は年間王者こそ2ndステージ優勝のジュビロ磐田に譲ったものの年間勝ち点の合計では1位でありました。
意外にも鹿島が2ステージ制で年間最多勝ち点を獲得したのはこの年だけです。
その年にチャンピオンシップで負けて年間チャンピオンになれなかったのも不思議ですね。
ナビスコ杯、天皇杯は優勝しており2005年以降の制度であれば3冠の成績です。
今だに1997年のチームが鹿島史上最強でないかと言われるほどのチームを作り上げました。
その後もジョアン・カルロスの長期政権は続くかと思われました。
しかし1998年の夏、フランスワールドカップ中断中の合宿でジョルジーニョ、ビスマルク、マジーニョとの確執が原因で監督を辞任してしまいます。
結局2年間で1996年Jリーグ、1997年ナビスコ杯、天皇杯と3つのタイトルをクラブにもたらしてくれました。

トニーニョ・セレーゾ
2000年 30試合(18勝4分け8敗) 優勝
2001年 30試合(19勝1分け10敗) 優勝

2000年からジーコと共にブラジル代表で黄金のカルテット構成したトニーニョ・セレーゾが監督に就任します。
就任1年目ということもあり序盤からうまくはいきませんでした。
しかし当時は2ステージ制であったこともあり救われます。
1stステージは8勝7敗の8位でしたが後半にかけてチームの勢いはどんどん増していきます。
2ndステージをわずか1敗で優勝するとチャンピオンシップで横浜F・マリノスを破り年間チャンピオンに輝きます。
さらにはナビスコ杯、天皇杯と合わせてJリーグ史上初の3冠を達成した年として歴史に残りました。
そして翌年2001年も前年と同じように1stステージは躓き11位となります。
しかしまたしても2ndステージで優勝しチャンピオンシップに駒を進めます。
相手は3度目の対決となったジュビロ磐田です。
ジュビロは2001年は26勝1分け3敗と圧倒的な強さでした。(勝ち点でも2位鹿島とは17ポイントの差)
大一番で鹿島の勝負強さは健在で第1戦を2−2で引き分けると、第2戦は小笠原満男の延長前半10分の直接FKのVゴールで優勝します。
ここから2005年まで鹿島史上最長の長期政権となります。

オズワルド・オリヴェイラ
2007年 34試合(22勝6分け6敗) 優勝
2008年 34試合(18勝9分け7敗) 優勝

サッカー選手としての経歴は無く大学卒業後にフィジカルコーチになり49歳で初めて監督になったという珍しい方です。
しかし第1回FIFAクラブW杯で母国のコリンチャンスを世界一に導いています。
ただ鹿島では就任当初からうまくいったわけではありません。
2007年は司令塔の野沢拓也が開幕直前の水戸とのプレシーズンマッチで負傷し離脱します。
その影響もあり開幕5試合勝ちなし(3分け2敗)という当時のワースト記録でスタートします。
しかし野沢が怪我から復帰するとチームは少しずつ勝ち出します。
さらに夏には小笠原満男のメッシーナからの復帰が起爆剤となり終盤9連勝で最終節に大逆転優勝をします。
延長戦が廃止された2003年以降1シーズンの9連勝は当時のJリーグ記録でした。
また最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのも初でした。
今でも鹿島が1ステージ制で優勝した中で1番よかった成績となっています。
そして翌年の2008年は年間を通して優勝争いを演じきっちり2連覇を達成しました。
さらには2009年も優勝し3連覇となっています。
その後2011年まで5年間を指揮しました。
オリヴェイラは2007年、2010年に天皇杯、2011年にナビスコ杯と5年全てでタイトルを獲得し合計6個のタイトルに貢献しています。
これは鹿島史上第1位です。

トニーニョ・セレーゾ
2013年 34試合(18勝5分け11敗) 5位
2014年 34試合(18勝6分け10敗) 3位

2006年以来8年ぶり2度目の就任となりました。
しかし2013年は前回とは違いクラブは2009年からリーグタイトルを獲れておらず少しずつ若手にシフトしていく難しい転換期を任せられます。
その中でも連敗もなく4月6日の第5節セレッソ大阪戦で1クラブのみで史上初のリーグ戦通算100勝を達成します。
また大迫勇也、柴崎岳など20代前半の若手を主力級まで育て上げます。
その功績が認められ翌年も続投します。
2014年は開幕3連勝で波に乗りましたが連敗と連勝の差が激しく3位でフィニッシュとなりました。
ただこの年も土居聖真昌子源、カイオなど後の鹿島の軸となる選手を一本立ちさせました。
しかし翌年の2015年7月21日に解任されます。
7月19日のアウェイ松本山雅戦に0−2の完敗を喫したことが決め手になりました。
第1ステージに14年ぶりの負け越しで8位に終わり、第2ステージも解任まで11位と全く優勝争いに絡めていませんでした。
前回と合わせると8年半という長期政権でしたが呆気ない終わり方でした。

このように過去には3人(4回)しかありませんでした。

鹿島で2年連続フルシーズンを指揮している監督は全員がタイトルを獲り優秀な成績を出せています。

第2次トニーニョセレーゾ政権の2013年、2014年も最終節まで優勝の可能性はあり1勝が足りませんでした。

ただ2年目の成績が必ずしもよいかと言われるとそうでもありません。

2001年まではチャンピオンシップがあったこともありタイトルを獲れている見方もあります。

リーグ戦は1年間を通して戦うためどこかで調子が下降する時もありますしうまくいかないこともあります。

その中でも不調の時期をできるだけ短くし勝ち点を拾う戦い方が必要です。

ザーゴ監督は人間的に非常に魅力があります。

ただ鹿島の監督は成績が出なければどうしても評価されにくくなってしまいます。

そのためにもぜひタイトルを獲って鹿島の歴史に名を残して欲しいと思います。

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