鹿島アントラーズ史上最大のインパクトはアルシンド

鹿島アントラーズ

10月21日はかつてJリーグブームを巻き起こした1人であるアルシンドの誕生日です。

1967年生まれですので今年で54歳になります。

日本では未だに有名であり人気を誇っています。

本当にJリーグが開幕した1993年〜1995年頃は社会現象になるほど凄まじいJリーグバブルでした。

特にヴェルディ川崎は三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏など日本代表のスターが揃っており人気、実力ともにトップでした。

そんな中、鹿島アントラーズから一斉を風靡したスターが生まれました。

それがアルシンド・サルトーリです。

長くサラサラな髪の毛なのに頭頂部がハゲているというカッパ頭で愛された選手です。

アデランスのCMでアルシンドになっちゃうよというキャッチフレーズが大流行しJリーグを知らない無い方にも浸透していました。

そんなアルシンドはブラジルで19歳でフラメンゴのトップチームに上がります。

その後サンパウロ、グレミオと名門チームに所属していましたがこれといった成績は残せていませんでした。

しかしフラメンゴ時代にチームメイトだったジーコの誘いを受けて1993年のJリーグ開幕元年に鹿島アントラーズに移籍してきます。

実はあの頭で当時25歳だったのです。

そのため選手としては最も脂が乗った時期でした。

髪型ばかりが記憶に残っている方も多いかもしれませんが選手として物凄いFWでした。

身長は175㎝と大柄ではありませんでしたがスピードに乗ったドリブル、そしてシュートがやたらうまかったです。

キックの精度が高くセットプレーもよく蹴っていました。

直接FKでの通算13得点はJ1リーグ歴代6位の記録です。

そんなアルシンドは1993年5月16日の名古屋グランパスエイトとの開幕戦では2ゴールを挙げデビューします。

さらにジーコのハットトリックとなる3点目のアシストのクロスを上げたのもアルシンドでした。

その後も得点を量産しアントラーズのファーストステージ優勝に貢献しました。

鹿島がいきなりJ初年度の最初のステージで優勝したのはアルシンドの活躍なしには語れません。

結局1年目は28試合出場で22得点と大活躍でした。

得点王は28得点で横浜マリノスのラモン・ディアスが輝き惜しくも得点ランキング2位でした。

気性が荒くイエローカードを7枚ももらっていましたのでもう少し出場できれば得点王になれたかもしれません。

しかしインパクトは抜群でした。

2年目の1994年も同じように活躍します。

43試合で28得点とチームトップの数字を叩き出します。

しかしまたしてもジェフユナイテッド市原のフランク・オルデネビッツの30点に及ばず2年連続の得点ランキング2位になります。

1994年もイエローカード5枚、レッドカード1枚をもらっていますので、しっかり出場できていれば得点王になれた気がします。

この年のシーズンオフに年俸で揉め当時のライバルのヴェルディ川崎に移籍してしまいます。

そのため鹿島にはたった2年しか所属していませんでしたが今でも語り継がれる伝説の選手になりました。

その2年間でリーグ戦に71試合に出場し50得点を挙げています。

全て足でのゴールで頭では1得点もしていないのが不思議です。

50得点はアントラーズ歴代7位の記録になります。

2年間でこれほど得点を決めている選手は現在までアルシンドしかいません。

移籍したヴェルディでは鹿島時代ほど結果が出せずに終わっています。

できればもう少し鹿島でプレーして欲しかったです。

キャリアの終盤はブラジルでプレーし2000年に引退をしています。

そしてブラジルで実家の農場経営をし大豆やとうもろこしを生産しているようです。

最近では2020年12月と2021年6月と2度もコロナに感染しニュースになりました。

またコロナが収束したらイベントなどで来日し元気な姿を見せてほしいと思います。

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