今回からこれまで獲得したタイトルについて振り返っていこうと思います。
鹿島アントラーズは2020年までに20個のタイトルを獲得しています。
Jリーグは1993年に開幕しましたので28年間で20個です。
サポーターからすれば決勝で8回も負けているのでまだまだ数は伸ばせたのではないかと思ってしまいます。
しかし他クラブのサポーターからすれば羨む数字です。
2位のガンバ大阪ですらタイトルは9個ですので倍以上離しています。
20回も感動を与えてくれたクラブには感謝しかありません。
ずっと連載してしまうとかなり長くなってしまうので不定期に行います。
もしよければお付き合いください。
まず歴史の始まりであった1996年のJリーグ制覇です。
これが記念すべき1つ目のタイトルになります。
鹿島アントラーズはJリーグ初年度の1993年にJリーグチャンピオンシップと天皇杯と2つの決勝戦に進みます。
しかし2つとも敗戦しタイトル獲得には至りませんでした。
私はこの2度の決勝での黒星がここまで鹿島アントラーズを応援する原動力になっています。
その後1994年、1995年と徐々に戦力アップを図りますがタイトル獲得はできずにいます。
そして1996年です。
16クラブのためホームアンドアウェー2回戦総当たりの30試合でJリーグ史上初の1ステージ制でした。
試合数が少なく1試合の重要性がかなり増した年でした。
ブラジルのCAブラガンチーノからジョアン・カルロスを新監督として招聘します。
サッカー選手としての経験はありませんが指導者としてのキャリアの最初はフィジカルコーチという名将です。
即戦力の獲得はありませんでしたが後の鹿島アントラーズの歴史に名を残す柳沢敦(富山第一高校)や平瀬智行(鹿児島実業高校)が入団しました。
これまでのベースに若手を融合させることを選択したようです。
3月16日の清水エスパルスとの開幕戦では前半1分にマジーニョが幸先よくゴールを決めます。
当時苦手だったエスパルスに4−1で快勝し絶好のスタートを切りました。
開幕8試合を6勝2敗とスタートダッシュをしたかに思いましたが横浜フリューゲルスが開幕8連勝をしたため霞んでしまいました。
その後も悪くない戦いぶりで首位争いを演じますがフリューゲルスの背中はなかなか捕らえられません。
前半戦折り返し地点の5月18日の第15節がそのフリューゲルスとの直接対決となりました。
この試合は鹿島にはレオナルド、ジョルジーニョ、マジーニョ、フリューゲルスにはジーニョ、エバイールと両チームのスタメン22人の内ブラジル代表経験者が5人もいるという今では考えられない豪華なメンバーでした。
結果は1−1からのPK5−6で惜しくも負けてしまい首位奪還はなりませんでした。
ここで一旦リーグ戦は中断に入ります。
この年は3月から5月、8月末から11月がJリーグ、6月から8月がナビスコ杯グループリーグと完全に分けられていた珍しい年です。
ナビスコ杯の期間はアトランタオリンピックへ向けたU-23サッカー日本代表の強化によるリーグ戦中断時期を利用したためこのような日程になりました。
そしてこの中断期間にレオナルドがフランスのパリ・サンジェルマンからオファーが届き移籍してしまいます。
私はレオナルドの大ファンでしたのでかなりショックを受けたことを懐かしく思います。
そして後半戦ではレオナルドの後継者として加入したロドリゴが14試合4得点、ルーキーの柳沢敦が8試合5得点と結果を出します。
鹿島は中断明けの第16節以降5連勝で一気に加速し始めると逆にフリューゲルスは失速し出します。
しかし名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田などが上位に食い込んできて終盤までどうなるかわからない展開になりました。
勝負を分けたのは10月30日第27節ジュビロ磐田戦、11月2日第28節浦和レッズ戦の上位対決2連戦です。
この2試合を両方ともPK戦まで縺れ込みましたがギリギリで連勝します。
この年のルールでは90分勝利、Vゴール勝利、PK戦勝利は全て勝ち点3と同じ価値でした。
本当によく粘り勝ちをしてくれたと思います。
そして11月6日の第29節名古屋グランパスエイトとの直接対決をホームの16,234の観客の前で4-2と粉砕します。
いつもスーパーサブの扱いであった眞中靖夫がこの試合はスタメン起用に応え2ゴールには胸が熱くなりました。
また66分のジョルジーニョのマジーニョへのスルーパスは何度見ても世界レベルのプレーですね。
最終節を残し2位横浜フリューゲルスに勝ち点差は3でしたが得失点差が15も離れていたため実質優勝が決まります。
第30節のヴェルディ川崎戦ではプレッシャーから解放されたのか0−5で大敗しますが無事に初のJリーグ制覇を成し遂げます。
優勝トロフィーをキャプテンの本田泰人が掲げた姿は一生忘れません。
1996年11月9日は鹿島アントラーズの歴史の最初の1ページ目となりました。
やはり初めてのタイトルは気持ちよかったです。
これから何度でも味わいたいと思いました。
個人タイトルはジョルジーニョがMVP、ジョルジーニョと相馬直樹の2人がベストイレブンに選ばれています。
心残りだったのは大敗して優勝が決まったこととスタジアムがアウェーの等々力陸上競技場だったことです。
次のJリーグはカシマサッカースタジアムで勝って優勝したいと欲が出ました。
そして2年後の1998年にその想いは叶います。
それはまた追って投稿したいと思います。
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