鹿島アントラーズには背番号に意味を持たせていると言います。
例えば右サイドバックは2番、ゲームメーカーは10番などです。
もちろん他のチームにもあるでしょうが鹿島の意味は重く感じます。
そして背番号とともに伝統を引き継がせています。
1997年の固定背番号制になってから2番は名良橋晃から内田篤人へ、10番はビスマルクから本山雅志へと引き継がれ後者は長い間その背番号とともに戦ってきました。
2007年にJリーグを優勝し悲願の10冠を達成した試合後の本山のインタビューで「やっと自分の背番号に星が追いついた。」という言葉はずっと語り継がれるであろう名言だと思っています。
2番は内田、10番は本山が長く付け、その後伝統はまだ引き継がれていないので今回は他の番号について振り返っていきます。(10番は柴崎、金崎、安部と3人いますが全員1シーズンで移籍)
まずは3番です。
こちらはDFラインのリーダー、センターバックの核となる選手が付けています。
秋田豊(1997~2003年)、岩政大樹(2006~2013年)、昌子源(2015~2018年)と引き継がれています。
どの選手もヘディングが強く、リーダーシップに優れ正にディフェンスの中心人物です。
岩政も昌子も最初に3番になった時は少し頼りない部分もありましたがすぐに背番号に見合う選手になりました。
今季は川崎フロンターレから移籍してきた 奈良竜樹が付けました。
奈良は全くと言っていいほどチームにフィットしておらず、今シーズンはリーグ戦6試合の出場でした。
来年は3番に見合う活躍を待っているサポーターも多いのではないでしょうか。
次に8番です。
この番号が1番アントラーズを象徴しています。
攻撃の起点となり、勝負を決められる選手の背番号です。
今まで小笠原満男(2001~2006年)、野沢拓也(2007~2011年)、土居聖真(2015~現在)と引き継がれています。
小笠原は天皇杯(2000年)、Jリーグチャンピオンシップ(2001年)、ナビスコ杯(2002年)と全ての国内タイトルを決める決勝戦で決勝ゴールを決めています。
天皇杯、チャンピオンシップはVゴールで優勝を決める劇的なものでした。
最近では小笠原は40番のイメージが強いかもしれません。
小笠原がセリエAのメッシーナに移籍し、戻ってきた時は野沢が8番だったので当時付けられる1番大きな背番号の40にしたという経緯がありました。
しかし8番がここまで意味のある番号になったのは彼の功績が大きいです。
また野沢もリーグ戦では引き分け以下なら優勝を逃していた2007年第33節浦和レッズ戦、優勝を決めた2008年第34節コンサドーレ札幌戦、優勝に王手をかけた2009年第33節ガンバ大阪戦のゴールなど終盤の大事な試合での活躍からミスタークライマックスと呼ばれていました。
2010年の清水エスパルスとの天皇杯決勝では直接FKで決勝ゴールを決めています。
土居自身はまだ先人のようにここ1番ではMVP級の活躍はできていません。
しかし潤滑油となってチームに欠かせない存在になっています。
サポーターとしては彼の決勝戦でのゴールも見ていたいです。
最後はエースナンバー13です。
鹿島ではチームを勝利に導く日本人ストライカーの番号となっています。
柳沢敦(1997~2003年、2006~2007年)、興梠慎三(2008~2012年)、中村充孝(2013~2019年)です。
まず柳沢は大物ルーキーとして加入後すぐに試合に出場するようになりました。
そしてシドニーオリンピック(2000年)、日韓W杯(2002年)、ドイツW杯(2006年)に出場と日本を代表するFWとなります。
鹿島でのリーグ戦80得点は、長谷川祥之の89点に次ぐ記録です。
30歳になり少しずつサブに回るようになってから惜しまれつつ京都サンガへ移籍してしまいます。
次の13番は興梠です。
まだ若く粗削りではありましたがスピードがあり、皆に愛された選手でした。
2008年の北京オリンピックの最終選考で惜しくも落選となります。
そのオリンピック期間中にチームでレギュラーになり10月にはA代表に招集されました。
2009年のリーグ3連覇を決めた第34節浦和レッズ戦ではヘディングで決勝ゴールを決めています。
今はその浦和レッズに移籍しJを代表するストライカーになりました。
その後の中村充孝は13番のプレッシャーに負けたのかさほどの成績を残せずに今シーズンからJ2のモンテディオ山形に移籍しています。
そして今年は13番は空き番号です。
国内タイトルは2016年の天皇杯以来獲れていません。
来年は鹿島にタイトルをもたらす13番の登場を期待せずにはいられません。
個人的には上田綺世が似合うのではないかと思っています。
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