ジーコの手が届かなかったワールドカップ

鹿島アントラーズ

ジーコは言わずと知れた鹿島アントラーズの礎を築いた人物であり、元ブラジル代表のスーパースターです。

本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラと言い、ジーコというのはポルトガル語でやせっぽちという意味です。

これは幼少期は瘦せており、いとこに呼ばれた愛称が由来となっています。

「サッカーの神様」や「白いペレ」、「マラカナンの英雄」など異名があり、サッカー王国ブラジルでも伝説となっています。

今回はそんなジーコのブラジル代表時代の話です。

ジーコは22歳の1976年2月25日、ウルグアイ代表との親善試合でセレソンに初招集されます。

2年ほど前からフラメンゴでは活躍し出していました。

弱点であったフィジカル強化に成功し代表の座を掴んでいます。

その試合でいきなり直接FKを決め鮮烈なデビューを飾りました。

その後は国際Aマッチ71試合48得点という成績を残しています。

出場数こそブラジル歴代トップ20位には入りませんが得点数は歴代5位です。

ペレ(77点)、ネイマール(74点)、ロナウド(62点)、ロマーリオ(55点)に次ぐ数字であります。

中盤の選手でありながらこれほどの得点を決められたのはキックの精度が抜群で直接FKという武器があったからです。

ジーコはキャリア通算で62本の直接FKを決めています。

これはマラドーナとともに世界歴代6位タイとなっています。

そんなジーコですが3度ワールドカップに出場しましたが1度も優勝することはできませんでした。

生涯でワールドカップトロフィーを掲げることはできなかったのです。

ペレは4度W杯に出場し、3度も優勝しています。

2人とも素晴らしいサッカー選手でしたが、W杯での優勝の差がよく語られます。

ここでジーコのW杯での成績を振り返ってみましょう。

1978年アルゼンチンW杯 3位
6試合出場1得点

1982年スペインW杯 2次リーグ敗退
5試合出場4得点

1986年メキシコW杯 ベスト8
3試合出場0得点

ジーコと言えば背番号10が代名詞ですが、初めて出場した1978年のアルゼンチン大会は背番号8でした。

1978年が若手、1982年が全盛期、1986年が晩年といった位置付けです。

その中で最も世界一が近かったのが1982年のスペイン大会です。

結果こそ2次リーグ敗退(現在のベスト8相当)と振るいませんでした。

しかし当時のセレソンはジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾと4人で中盤を構成していました。

黄金のカルテットと呼ばれ、今でもブラジル史上最も魅了したチームと称えられています。

優勝候補の一角として臨むも2次リーグ最終戦のイタリア戦で2-3で敗れ敗退しました。

この試合はサッカー史上最高の試合の一つともされています。

その後の1986年メキシコ大会では準々決勝でプラティニを擁するフランスとの激闘を演じました。

後半にPKを獲得しジーコがキッカーを務めるも相手GKに止められます。

ブラジル優勢で試合が進むも決めきれずPKでの決着となりました。

PK戦ではジーコはキックを成功も3-4で敗れ、ブラジルのW杯制覇はなりませんでした。

これがジーコの最後のW杯となっています。

W杯のような短期決戦では実力とともに運も必要です。

クラブや個人で多くのタイトルを獲得しましたが、W杯の縁はありませんでした。

それでもジーコの素晴らしさは何ら変わることはありません。

そんなジーコがブラジルメディア「ランセ」のインタビューの中で、鹿島アントラーズから生涯契約の打診を受けたことを明かしています。

今季からクラブアドバイザーとして強化を含めたクラブ全体のサポート業務を担当していました。

本人は喜びを語っていましたがこの話を引き受けたかどうかはわかりません。

ぜひ引き受けていただき鹿島が世界的なクラブに発展していけるよう協力してもらいたいです。

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