6月4日は永木亮太の誕生日です。
1988年生まれなので33歳になります。
サッカーの世界ではもうベテランの領域に入っています。
しかし衰え知らずの運動量でチームを助けてくれる頼りになる選手です。
そして筋肉は年々増しているように感じます。
今回その湘南ベルマーレに縁のある永木亮太についてピックアップしてみました。
現在鹿島の中で1、2を争うほどのユーティリティープレーヤーでありどんな監督であれ重宝したくなる選手です。
ただ絶対的なレギュラーかと言われるとそうではなく本人は悩ましい日々を送っていることと思われます。
縁の下の力持ちでこのような選手がいるチームは強いです。
ぜひ永木と一緒に優勝を分かち合いたいですね。
そんな永木は神奈川出身ということもあり川崎フロンターレU-15、U-18と川崎の下部組織出身です。
全然そんなイメージはないですね。
ユースのため当たり前ですがトップ昇格を目指していましたが上がることができず中央大学に進学します。
中央大学は関東大学リーグ1部に所属しておりレベルが高くJリーガーも多く輩出しています。
福田正博や中村憲剛、シュミット・ダニエルも同校サッカー部出身です。
また鹿島の強化責任者である鈴木満も同校のOBです。
ただ永木自身は大学3年生に関東大学選抜Bに選ばれていましたがそれほどプロ注目の選手ではありませんでした。
しかし地道な努力が評価され大学4年生の2010年7月8日にJ1湘南ベルマーレに特別指定選手として登録されます。
当時の湘南は反町康治が監督であり気に入られた形での入団です。
そのため大学サッカーの試合と被らない時期はJ1でもレギュラーとして出場しています。
ちなみに7月14日第11節の鹿島アントラーズ戦がJリーグデビューでした。
後半戦だけでリーグ戦に11試合(9試合スタメン)も出場しており特別指定選手のJ1歴代最多出場記録になっています。
そして2011年に正式に湘南に加入し2015年までの5年間は絶対的な選手へと成長します。
2013年からはキャプテンを務め2015年まででJ1、J2を合わせて162試合の出場となります。
今や日本代表の不動のボランチとなった遠藤航と全く同じ時期に在籍しています。
遠藤がここまでの選手になったのも横で永木という最高のお手本がいたからに他なりません。
そして2016年に鹿島アントラーズに移籍してきます。
ただその頃の鹿島には柴崎岳、小笠原満男と日本を代表するボランチがレギュラーであり永木と言えども出番はなかなかありません。
リーグ戦では29試合に出場はしましたが先発は13試合で1438分のプレー時間であったため1試合約49.6分のプレー時間しかありませんでした。
その中でも豊富な運動量でピンチを未然に防ぎ、ボール奪取などのハードワークはチームに欠かせないものになっていきました。
この年リーグ、天皇杯の2冠を達成し永木の評価も上がります。
そのため日本代表ハリルホジッチ監督に目を付けられ2016年11月11日のキリンチャレンジカップのオマーン戦でスタメン出場しています。
しかもこの試合は鹿島のホームであるカシマサッカースタジアムで行われるという運命的なものでした。
しかし現在まで国際Aマッチの出場はこの1試合のみとなっています。
翌年2017年には柴崎が移籍するもレオ シルバが加入したため出番は増えません。
2018年は小笠原がベンチになることが多くなるも三竿健斗が軸になりこれまた出番は増えません。
2019年からはレオ シルバ、三竿のコンビが定着し永木は右サイドバックとして出場するようになりました。
鹿島加入後2020年までの5年間で141試合出場は多く感じます。
しかしスタメンは81試合で多くは右SBで出場しています。
また試合途中に守備の薄くなったポジションに埋め合わせたりと困った時に永木を使うようになりました。
それはチームとしてはいいのですが本人は本職のボランチで出場したいはずです。
永木のように体が強く終盤までスタミナがあり走り回れる選手はそういません。
今年は右サイドバックに常本佳吾が新加入しようやくボランチで勝負できるかと思いました。
しかしレオ シルバ、三竿の壁は厚くさらにディエゴ ピトゥカの加入でボランチの4番手扱いです。
そのため今まで以上に特にリーグ戦での出番は限られています。
それでも出場した時の安定感は永木にしか出せないものがあります。
鹿島史上1997年の背番号固定制以降6番を背負った選手は3人しかいません。
本田泰人(1997年〜2006年の10年間)、中田浩二(2008年〜2014年の7年間)、そして永木亮太(2016年〜2021年の6年間)です。
今のパフォーマンスを続けられるならまだまだ現役は可能でしょう。
本田泰人を超える選手として語り継がれるようずっと鹿島に所属していて欲しいです。
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