1月12日に鹿島アントラーズの2022年シーズンが始動しました。
選手にコロナの陽性反応が出てしまったため1日遅れてのスタートでしたが天気も良く逆にいいスタートが切れたのではないでしょうか。
選手たちの練習風景を動画で久々に見ることができ、いよいよシーズンが始まると胸が高まりました。
そしてサッカーダイジェストWebで荒木遼太郎がインタビューに答えていました。
今季の背番号10は自らが志願しての変更だったとのことです。
中学、高校とずっと10番を付けており愛着のある番号のようです。
これまでの13番は鹿島では特別な番号ですが、サッカー選手にとっての憧れの番号はやはり10番です。
この10番の歴史は古く、ブラジル代表のペレが1958年のスウェーデンW杯で17歳で大活躍し優勝に導いたことに始まります。
当時は監督がランダムに背番号を抽選で割り振り偶然ペレが10番になりました。
この番号がここまで大きなものになるとは本人も思っていなかったでしょう。
そんなエースナンバーですが鹿島アントラーズでは近年10番が定着していません。
2016年に柴崎岳、2017年は空き番号、2018年は半年間金崎夢生、2019年も半年間安部裕葵、2020年、2021年は空き番号です。
10番の選手は1年以内に移籍してしまっています。
しかしそれ以前は本山雅志が2002年から2015年まで14年間も付けていました。
荒木と同じ東福岡高校出身であり鹿島で一時代を築いた偉大な選手です。
鹿島で最も10番として試合に出場しタイトルをもたらしています。
10番本山雅志としての成績は以下の通りです。
リーグ戦307試合29得点
Jリーグ優勝(2007年、2008年、2009年)
ナビスコカップ優勝(2002年、2011年、2012年、2015年)
天皇杯優勝(2007年、2010年)
10番を付け出した当初はまだスーパーサブでしたが短い時間でも結果を出し続けレギュラーを獲得します。
そして10番の14年間で9個のタイトルを獲得です。
さらに優勝した2007年はリーグ全34試合出場を達成しています。
この年リーグ優勝を決めて10冠達成のインタビューでの「やっと自分の背番号に星が追いついた。」は史上最高の名言でした。
晩年は水腎症や怪我も重なり出番は減りましたが腐らず若手の見本になり続けました。
本当に人間的にも魅力的な選手でした。
同期の中田浩二や小笠原満男、曽ヶ端準のように鹿島で引退すると思っていましたがまだ選手としてやりたいと2016年にギラヴァンツ北九州に移籍をします。
42歳となった今もマレーシア2部のクランタン・ユナイテッドFCで背番号10として現役を続けています。
本山には完全燃焼するまでサッカーを続けてもらいたいです。
そんな本山のことをもちろん荒木は知っており10番に恥じないプレーをしたいと語っていました。
今季のFW陣は鈴木優磨の加入でJリーグナンバー1の破壊力となりました。
そのためアシストは増えそうです。
また今季も二桁得点をし10得点10アシストの目標を達成してもらいたいですね。
2列目の荒木がこのくらいの結果を出したらリーグ優勝できると思います。
そして今シーズン終了後には海外移籍となってしまいそうです。
嬉しいような悲しいような気持ちですが鹿島にタイトルをもたらす活躍を期待しています。
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