7月11日は第22節柏レイソル戦が三協フロンテア柏スタジアムで行われます。
この試合は関東アウェイということで参戦を予定されていたサポーターも多くいらっしゃったと思います。
しかし残念ながらコロナ禍によりビジター席の販売はありません。
東京からも比較的近く熱気のあるスタジアムですので現地観戦したかったです。
また来年以降を楽しみに待つことにします。
そのため鹿島アントラーズのサポーターはDAZN観戦になります。
しっかり勝利するところを見届けましょう。
そしてこの試合の鹿ライブのゲストが豪華です。
現在まで鹿島アントラーズで最もゴールを決めている選手である長谷川祥之です。
そんな長谷川祥之を今回は紹介したいと思います。
長谷川はリーグ戦261試合出場で89得点は鹿島のクラブ歴代得点記録です。
またアントラーズの公式戦130得点も1位の記録になっています。
2003年の1stステージをもって引退されましたが以後18年間彼を超える選手は出てきていません。
Jリーグ開幕後の1993年、1994年はアルシンドと黒崎比差支の3人だけで得点を取ることができました。
アルシンドはリーグ戦50得点で歴代7位、黒崎はリーグ戦48得点で歴代9位と3人とも歴史に名を残すFWでした。
今だに3人が歴代トップ10に入っていることは当時どれほど凄かったかがわかると思います。
それぞれが特徴のある選手で相手DFにとっては厄介だったでしょう。
また長谷川、黒崎の2トップはクラブでの活躍が認められ日本代表でも見ることができました。
黒崎の方が先にA代表になっており長谷川は1995年に初招集となります。
1995年2月21日のダイナスティカップ韓国戦では黒崎比差支と日本代表戦に鹿島の2トップでスタメン出場します。(黒崎の1ゴールで1−1の引き分け)
この試合が鹿島史上初めて日本代表でのアントラーズ所属選手の2トップでした。
長谷川は身長179㎝でしたがヘディングが滅法強く空中で止まっているかのような選手でした。
そのため相手とバッティングしよく流血していた印象があります。
包帯を付けている写真や映像を見るととても懐かしいです。
また1995年8月26日のNICOSシリーズ第5節ガンバ大阪戦ではヘディングだけでハットトリックという偉業を達成しています。
なかなか見ない記録ですね。
引退後2007年からは鹿島ユースのコーチをしており鈴木優磨も指導していました。
鈴木優磨も長谷川に劣らず打点の高いヘッドが持ち味のストライカーです。
その鈴木は得意のヘディングについて「ユースのときに長谷川さんから教わった」と語っていました。
助言が次世代にしっかりと引き継がれていますね。
エースというのは得点数もそうですが勝負どころでのゴールが求められます。
まさに長谷川はそのような選手でした。
リーグ戦でゴールを決めた試合で負けないという不敗神話は34試合も続きました。
これは未だに破られていません。
ちょうど1996年3月16日の開幕戦清水エスパルス戦(4−1)から始まり現役最後の得点となった2002年9月15日2ndステージ第3節東京ヴェルディ1969戦(3−2)までとなっています。
7年間引き分けすら無いという大記録でした。
また2002年の日韓ワールドカップでカシマサッカースタジアムが会場に選ばれます。
そのため2000年9月6日のナビスコ杯準々決勝の横浜F・マリノス戦をもって約9ヵ月の改修工事に入ります。
そして改修工事が完了し2001年5月19日の1stステージ第10節柏レイソル戦が新しいスタジアムのこけら落としとなりました。
満員で36,365人の観客が訪れました。
その試合でも途中出場の長谷川が延長前半9分にVゴールを決めて3−2の劇的な勝利でした。
当時はVゴールがあったので盛り上がりましたね。
このようにキャリアの後半の2000年頃から痛めていた膝の状態が思わしくなく途中出場が増えましたが限られた時間の中で結果を出してくれました。
鹿島の中でも愛された選手の一人です。
その長谷川の現役時代のチャントは現在上田綺世に引き継がれています。
上田には長谷川を超える選手になってもらいたいです。
ただ今は活躍するとすぐに海外移籍をしてしまう時代です。
上田もそう遠くない将来にどこかに旅立ってしまうでしょう。
そう考えるともう長谷川の持つリーグ戦89得点という記録はなかなか更新されないと思われます。
そんな長谷川祥之の現役時代の裏話が今回の鹿ライブでは聞けるかもしれません。
試合同様注目してみたいと思います。
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