三竿健斗と涙の別れ【歴代背番号6番は熱い男たちだった】

鹿島アントラーズ

12月12日に三竿健斗のポルトガル1部CDサンタ・クララへの完全移籍が正式発表されました。

既に11月24日にスポニチで移籍は決定的と報じられていましたがいざ正式に決まるとショックです。

三竿は元々ボランチが主戦場ですが、今季は駒不足からCBへコンバートされます。

本職でないにもかかわらず体を張ったアグレッシブなプレーで守備を引き締めてくれました。

せっかく来季は昌子源と植田直通という2人のCBが戻ってきます。

プレー面でも精神面でも負担は軽減されるはずでした。

三竿は球際に強くボールを奪い取る技術はJリーグ屈指のものがあります。

そのためボランチに上げて鉄壁のディフェンスラインを見てみたかったです。

三竿は2016年に20歳で東京ヴェルディから鹿島アントラーズに移籍してきました。

そして小笠原満男、柴崎岳、永木亮太と激戦区のボランチで揉まれていきます。

ようやく今季入団時からの背番号20から背番号6に昇格しました。

これまで鹿島では三竿同様6番は守備に特徴のある選手が付けてきています。

1997年の背番号固定制以降4人しか背負っていません。

レギュラー番号では背番号2と並ぶ最少人数です。(ジョルジーニョ、名良橋晃、内田篤人、安西幸輝)

それほど1人の選手が長く背負い伝統ある番号と言えます。

ここで今までの背番号6の選手を振り返ってみます。

本田泰人(1997年〜2006年)
Jリーグ開幕を機に本田技研工業から加入します。
背番号変動制時代から主に6番を背負い、この番号をボランチの代名詞とした第一人者です。
1994年から2代目チームキャプテンに就任し引退まで13年間も務めます。
すっぽんマークと呼ばれたしつこく食らい付く守備で相手のエースを封じ込めてきました。
特にヴェルディ川崎のビスマルクとのマッチアップは語り草となっています。
後にビスマルクが鹿島に加入した理由を「本田を敵に回さなくてよくなるから」と話すほどでした。
鹿島から2006年に翌年度の契約更新をしないことを告げられますが「鹿島以外のユニフォームを着る自分が想像できない」と引退を決断した選手です。

中田浩二(2008年〜2014年)
入団時は背番号26でありその後背番号5に昇格します。
そしてフランス、スイスと経験し体が動くうちに鹿島に貢献したいと2008年7月に復帰しました。
その時から背番号6を付けるようになります。
本職はボランチですがCBや左サイドバックとしても出場し、ユーティリティプレーヤーとして長く活躍します。
左利きということもあり重宝されました。
常に冷静に戦況を見極め危険なエリアをカバーしてくれました。
鹿島で引退し現在はCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)として活躍中です。

永木亮太(2016年〜2021年)
湘南ベルマーレではゲームキャプテンを任されるなど絶対的なレギュラーでした。
そんな中2016年に鹿島に移籍をしてきます。
強靭な肉体を武器にデュエルの強さを売りとしました。
全盛期は日本代表はハリルホジッチ監督であり常時呼ばれてもおかしくないタイプでした。
ただ鹿島では不遇な起用法が多かったです。
人材不足からサイドバックに回されることも多々ありました。
またベンチ外になることも多く本人も苦悩の日々だったでしょう。
それでも出場した際にはプロとしてハイパフォーマンスを見せてくれました。
鹿島から去った後もサポーターに愛されている選手です。

このように歴代背番号6の選手はボランチを主にする熱い魂を持った選手たちでした。

皆キャプテンシーがありチームをまとめてくれました。

その中でも三竿のチームメイトを鼓舞する姿は一際印象的でした。

成績が出ずチーム状況の苦しい中でも先頭に立ち、引っ張ってくれたことは感謝しかありません。

必ず海外で成功してほしいです。

帰国子女で英語は堪能なのですぐに馴染めると思います。

2018年までは日本代表として6試合に出場し、ロシアW杯の最終メンバー選考にまで残っていたので代表復帰をするような活躍を期待しています。

鹿島は背番号に意味を持たせるクラブです。

果たして来季はどんな選手が6番を背負うことになるのでしょうか。

発表される日まで楽しみです。

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