名古屋戦になるとあの試合を思い出す

鹿島アントラーズ

10月31日は第25節名古屋グランパス戦になります。

名古屋は1試合少ないにもかかわらず勝ち点は鹿島と同じ45です。

得失点差で5位名古屋、6位鹿島となっています。

2位のガンバ大阪、セレッソ大阪まで勝ち点3差なので絶対に負けられない試合です。

またここで勝てば2位が見えてくるため天皇杯出場、そして来年のACLへと繋がります。

今シーズンの序盤のどん底状態から考えればよく持ち直してきました。

ただまだ8試合あります。

ザーゴ体制1年目を気分よく終わるためにも残り試合を全勝してほしいですね。

さて今度の名古屋と言えばJリーグ初年度の1993年からのオリジナル10のチームです。

当初は名古屋グランパスエイトという名前でした。

それは英語で名古屋城の金の鯱を表すグランパスと名古屋市の市章と縁起の良い末広がりのエイトを足してグランパスエイトとなりました。

しかしエイトの呪いなのか1993年2ndステージ、1994年1stステージ、1999年1stステージ、2003年2ndステージ、2004年1stステージと計5度も8位になります。

またずっと中位が続いたため2008年から名古屋グランパスに改名したという経緯があります。

ちなみにそれ以降1度も8位になっておらず2010年にはリーグ優勝もし強豪クラブになりました。

そして鹿島アントラーズvs名古屋グランパスと言えば一生忘れられない試合があります。

それは1993年5月16日Jリーグ元年の開幕戦のカードです。

ニュースではジーコvsリネカーと騒がれていました。

両チームのファン、サポーターにとって忘れられないでしょう。

特に鹿島にとっては全てがあそこから始まったと言っても過言ではないくらいの衝撃的な試合でした。

Jリーグの始まる前の日本サッカーリーグ時代(アマチュアリーグ時代)に鹿島の前身である住友金属は2部所属でした。

他の9チームは全て1部のチームであり果たしてどこまで通用するか未知数でした。

またホームタウンの鹿島町は他の都市と比べ人口も少なく田舎です。

そのためかアントラーズの関心は高くなかったようです。

1993年当時のホームタウンの人口です。

横浜市 330万人
大阪市 250万人
名古屋市 220万人
川崎市 120万人
広島市 110万人
浦和市 45万人
市原市 26万人
清水市 25万人
鹿島町 6万人

そして開幕戦ですらチケットが捌けず10,898人の観客は5会場中最低でした。

しかしそんな状況もたった1試合で変わります。

いきなりジーコのハットトリック、アルシンドの2ゴールで5-0の勝利とこれ以上ない最高のスタートを切ります。

そこから鹿島の快進撃が始まり1stステージを制覇します。

解説者の中には最下位予想もあったようで考えらない結果です。

当時のカシマサッカースタジアムは1万5千人収容でしたので毎試合満員になりチケットは手に入らなくなりました。

このように開幕戦で名古屋に快勝できたから今の鹿島があります。

名古屋は2017年の1年だけJ2に降格していましたがそれ以外はずっとJ1にいたので対戦回数はかなり多いです。

これまでリーグ戦を59試合行い鹿島の35勝3分21敗、115得点80失点となっています。

勝利数、得点はクラブ別で最多であり相性はいいです。

そしてカシマサッカースタジアムではさらに相性がよく26試合で21勝1分4敗です。

また26試合連続得点中という記録も継続しています。

しかもホームで名古屋に初めて負けたのが2008年8月23日第22節だったので15年間負けなしでした。

やはり開幕戦のトラウマが根強く残ったのでしょうか。

また現在も2015年から4連勝中と相性抜群です。

油断せずに必ず勝利をし1つでも上の順位を目指していきたいところです。

にほんブログ村 サッカーブログ 鹿島アントラーズへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました