もし宮市亮、岩崎悠人が鹿島アントラーズに入団していたら

鹿島アントラーズ

7月19日はE-1サッカー選手権の日本代表vs香港代表がカシマサッカースタジアムで行われました。

実力差がある試合で6−0というのは妥当な結果だったように思います。

果たして収穫はあったのでしょうか。

カシマサッカースタジアムでの日本代表国際Aマッチは2019年9月5日パラグアイ代表戦以来5試合目でした。

このようにカシスタでAマッチを観られる機会は限られています。

その試合で鹿島アントラーズ所属の選手が一人もいなかったのは寂しい限りです。

鹿島には代表に値する選手は多くいるのでいつものホームスタジアムで躍動する姿を見てみたかったですね。

ただ現在湘南ベルマーレにレンタル移籍中の左サイドバックの杉岡大暉はフル出場でした。

積極的なオーバーラップからのクロスが売りでありCBもできます。

来季はどうにかレンタルバックするようフロントには動いてもらいたいです。

そしてこの試合で64分に宮市亮と岩崎悠人が途中出場しました。

宮市は2012年10月16日のブラジル代表戦以来10年ぶりの3試合目の出場となります。

3563日ぶりの代表戦出場は歴代4位のブランクでした。

上位3人は戦争による活動中断で期間が空いているため実質宮市が1位と言えます。

若くから期待されていましたが怪我が続きプレーできない日々が続きました。

そこから復帰し日本代表まで上り詰めるとは感慨深いです。

そして岩崎は24歳で初招集です。

岩崎も10代の頃から世代別代表の常連選手でありました。

しかしプロ入り後は壁に当たり出場機会を伸ばせません。

5クラブを渡り歩きようやくサガン鳥栖で花を咲かせようとしています。

武藤嘉紀が怪我で代表を辞退したため追加招集ではありましたがA代表デビューを果たしました。

そんな2人ですが高校卒業時に鹿島アントラーズはともにオファーを出しています。

断られたことはショックでしたがこうして日本代表になっているので2人の選択は間違ってはいなかったのかもしれません。

まずは簡単に経緯を振り返ります。

宮市はプラチナ世代の筆頭として中京大学附属中京高校時代は超高校級として注目株でした。

縦へ突破するスピードは高校生では止められる選手はいませんでした。

鹿島以外のJクラブからオファーも全て断りいきなりイングランドのアーセナルに入団します。

高校生がJリーグを通さず海外に行くことは稀であり大きな注目を浴びました。

イングランドの就労ビザが取れずにオランダのフェイエノールトにレンタル移籍も海外で初年度から活躍です。

その年鹿島は同世代の4人を入団させます。

以下が内定が出た時期です。

2010年1月20日 柴崎岳

2010年7月29日 梅鉢貴秀

2010年8月11日 土居聖真

2010年9月30日 昌子源

柴崎は別格で高校2年生で内定が出ていました。

宮市が入団していたら梅鉢か土居は入団していなかったかもしれません。

また2014年に入団するカイオも同タイプなのでどうなっていたかわかりませんね。

そして岩崎も京都橘高校で1年生からレギュラーとなり早くから注目されます。

推進力のあるドリブラーであり得点に直結するプレーをしてきます。

高校サッカー選手権も3年連続で出場し1年次と3年次は優秀選手に選ばれました。

鹿島も目を付けオファーを出すも出場機会が欲しいということと高校の地元ということでJ2の京都サンガF.C.への入団を決めます。

そこで断られた鹿島は似たようなドリブラータイプの安部裕葵を獲得しました。

結果的に安部は2018年にベストヤングプレーヤー賞を獲得し翌年には背番号10を背負う選手になります。

さらにバルセロナBへと海外移籍を果たしました。

2人が入団しなかったことで獲得した選手がしっかりと結果を出しチームは成長できました。

鹿島としてはこれで良かったのかもしれません。

しかし2人が入団していたら鹿島で大活躍をしていた可能性もあり何とも言えません。

未来はわからないからおもしろいですね。

入団する選手にも入団しない選手にもドラマがあります。

これからもそのドラマを一人のサポーターとして見届けていきたいです。

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