今回は1998年のJリーグ優勝について振り返ります。
不定期企画の第4弾です。
前年の1997年はJリーグ優勝こそチャンピオンシップで負けたため逃しますが年間総合勝ち点は1位であり、ナビスコ杯そして天皇杯を制しました。
そのため今も語り継がれるほど歴代最強のチームであったと言われています。
そして1998年も引き続きジョアンカルロス監督が指揮をしました。
黒崎比差支、石井正忠といった選手が出場機会を求めて退団します。
しかしそれ以上に将来を嘱望された黄金世代の6人が入団します。
小笠原満男、曽ヶ端準、中田浩二、本山雅志、中村祥朗、山口武士です。
2冠の翌年のシーズンオフに高校生を6人しか補強しなかったのですから将来を見据え、彼らには相当な期待がされていたのでしょう。
そして3月21日に前年最下位であったアビスパ福岡との開幕戦を迎えます。
25分にまさかの福岡に先制点を決められるという波乱の幕開けでしたが後半に攻撃陣が爆発し終わってみれば4−2と圧勝でした。
ちなみにこの試合は福岡に移籍した石井正忠がスタメン出場し70分にレッドカードで退場処分になっています。
そして開幕4連勝とスタートダッシュに成功しました。
特に4月4日の1stステージ第4節京都サンガ戦では6−0で勝利し柳沢敦が4得点を決める大活躍でした。
今だに鹿島の歴史上1試合4得点を決めた選手はこの試合の柳沢のみの記録です。
調子は良いように思いましたが4月18日の1stステージ第7節横浜マリノス戦に0−1で敗れるとそこから3連敗をし優勝争いからやや後退します。
しかし優勝を争っていたジュビロ磐田に5月5日1stステージ第11節に柳沢のハットトリックで3−0と完勝すると、次節のヴェルディ川崎戦にも3−1で勝利し優勝前線に留まりながら2ヵ月半の中断期間に入ります。
これはこの年にフランスワールドカップがあり1stステージ第12節の5月9日から第13節の7月25日までという長い期間のインターバルがありました。
鹿島はこの期間にステージ優勝へ向けて残り5試合を必勝のため福島県いわき市で合宿に入ります。
そしてここで事件は起こります。
この合宿に2日遅れて参加したジョルジーニョとジョアンカルロス監督の間に確執が生まれ、選手がサッカーの主役という自論から7月7日に監督が辞任してしまいます。
チームも一つにならなければいけない時期にあまりに衝撃的な退団でした。
急遽コーチであった関塚隆が監督代行として残り試合の指揮を取ることになります。
再開初戦の7月25日1stステージ第13節ヴィッセル神戸戦に3−2で勝利し磐田、清水、川崎、マリノス、そして鹿島と5チームが勝ち点で並ぶという大混戦にもつれ込みます。
磐田、清水は4連勝をし得失点差でジュビロ磐田の優勝になります。
鹿島は横浜フリューゲルス、サンフレッチェ広島に敗戦し1stステージは5位でした。
1位、2位の磐田、清水には勝利していたのに下位クラブに取りこぼすというあまりに残念な結果でした。
優勝するチャンスはあっただけに悔やまれるステージです。
その反省を生かすため2ndステージからゼ・マリオが監督に就任します。
この就任はジーコテクニカルディレクターからの推薦で決まったようです。
8月22日の2ndステージ第1節ジェフユナイテッド市原戦に3−1で勝利し幸先の良いスタートを切れたかに思いました。
しかしファーストステージ同様に第2節横浜フリューゲルス、第4節サンフレッチェ広島に敗戦し4試合で2勝2敗となります。
ただセカンドステージはここから驚異の連勝劇を見せます。
9月15日の2ndステージ第5節アビスパ福岡戦に3−0で勝利すると11月14日の2ndステージ最終節となる第17節ヴィッセル神戸戦まで13連勝します。
この記録的な連勝で一気にセカンドステージを制しました。
特に大一番であった11月3日の2ndステージ第15節ジュビロ磐田戦にマジーニョのゴールで1−0で勝利できたことが大きかったです。
両チームともに一歩も譲らない激戦でした。
補足ですがこの記録は1999年の1st第3節サンフレッチェ広島戦の16連勝まで伸びています。
当時はVゴールがあったとは言え16連勝は今だにJリーグ記録です。
そしてファーストステージ王者のジュビロ磐田とのチャンピオンシップに臨むことになります。
これで2年連続でチャンピオンシップが同じ顔合わせです。
当時どれだけこの2クラブが強かったかがわかるかと思います。
ただこの年は対ジュビロでリーグ戦2連勝、ゼロックススーパーカップでも2−1で勝利と公式戦3連勝であり前年のような苦手意識はなかったです。
いよいよ11月21日に国立競技場で第1戦が行われます。
もう両チームともに何度もタイトルを争ってきたため手の内はわかっています。
そのためこのようなタイトルがかかった試合ではそれほど早い時間帯に試合は動かないかと思っていました。
しかし開始早々の前半6分にドゥンガのFKを室井市衛がハンドをしPKを取られます。
このFKも室井が藤田俊哉を倒して取られたものであり気持ちが浮ついていたのかもしれません。
これを8分に中山雅史に左隅に決められいきなりビハインドを負います。
ただこれで鹿島の闘争心に火がつき猛攻が始まります。
中々得点を奪えませんでしたが73分にビスマルクのスルーパスから柳沢敦のクロスに長谷川祥之が頭で合わせて1−1の同点とします。
3人だけで完結してしまうという綺麗なゴールでした。
私は長谷川と言えばこのゴールを真っ先に思い出します。
その後も押し気味でしたが試合は90分で決着が付かずVゴールの延長戦に突入します。
延長戦でも一進一退のまま試合が進みます。
このまま試合終了かと思われた111分にドラマは待っていました。
ビスマルクのCKから混戦になりジョルジーニョがシュートします。
これをGKが弾いたところを室井が詰めて決勝弾を叩き込みます。
PK献上を帳消しにする最高のゴールでした。
試合後の室井コールには本当に鳥肌が立ちました。
そして2戦目は11月28日にカシマサッカースタジアムで行われます。
初戦の劇的な勝利、ホームでやれるアドバンテージと優勝の条件は揃っていました。
試合も第1戦の勝利の余裕が良い方向に出ており選手は伸び伸びとプレーしているように感じました。
前半40分についに均衡が破れます。
ビスマルクのFKに秋田豊が頭でドンピシャに合わせ先制します。
ここまでの鹿島の歴史上で秋田ほど大一番で決められるCBはいません。
これでジュビロの張り詰めていた気持ちが切れたのか42分にビスマルクの直接FKで2−0とします。
もうこうなると後は時計の針をうまく進めるのみです。
ジュビロも黙っているわけではなく後半は猛攻を仕掛けてきます。
最後の85分に藤田俊哉に1点を返されるも2−1で勝利し2連勝で1998年Jリーグチャンピオンに輝きました。
前年の1997年はチャンピオンシップで敗れていたため借りを返せてよかったです。
これで1996年のJリーグ初制覇から3年連続で国内主要タイトルを獲得し4冠となります。
いよいよJリーグでも強豪として認められるクラブへと成長してきました。
ただこの年で一つのサイクルが終わりを告げます。
ジョルジーニョ、眞中靖夫、佐藤洋平といった功労者が退団します。
次は新しい世代での第2次黄金期に突入していきます。
ここから更なる鹿島アントラーズの歴史が始まっていくのです。
次回はJリーグ史上初の3冠を達成した2000年です。
その中でも1番最初のナビスコ杯優勝になります。
また近いうちに投稿できたらと思いますので楽しみにしておいてください。
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