2022年のJリーグももう間もなく終わりを迎えようとしています。
例年よりも短かったとは言え、2月中旬に開幕し9ヵ月の長いシーズンです。
選手にはオフの期間は疲れをとってゆっくりしてもらいたいです。
ただ多くの選手にとって契約更改という大仕事が残っています。
プロサッカー選手という職業として働いている以上必ずつきまとうものです。
ステップアップもあればクビもあったりと選手それぞれにドラマがあります。
本当に成功を掴めるのは一握りであり厳しい世界だと痛感します。
このオフも多くの現実が待っているでしょう。
そしてここ数年、オフになると鹿島アントラーズのサポーターが気にしていることがあります。
それは垣田裕暉の動向です。
現在はサガン鳥栖にレンタル移籍中です。
通常レンタル移籍というのは1、2年で戻ってくるか、他クラブへ移籍するか判断されます。
垣田の場合は鹿島に所属していたのは2016年のルーキーイヤー1年のみです。
その後6年間もJ2、J1のクラブを渡り歩くことになります。
非常に珍しいケースとなっています。
まずは垣田のプロ入り後のリーグ戦の成績です。(11月2日時点)
2016年(鹿島アントラーズ)
3試合0得点
高卒1年目でリーグ戦に出場します。
しかも7月13日の2ndステージ第3節名古屋グランパス戦でデビュー戦がスタメン出場です。
高卒ルーキーイヤーのスタメンデビューは内田篤人(2006年)、山田大樹(2020年)そして垣田の3人しかいません。
デビュー戦で伊東幸敏のクロスにいきなり惜しいシーンはありましたが空振りしゴールを逃します。
それでもスケールの大きな選手に今後の期待を感じました。
2017年(J2ツエーゲン金沢)
32試合3得点
2018年
38試合9得点
2019年
35試合8得点
翌年からJ2への武者修行生活が始まります。
2017年は主にベンチメンバーでしたが多くの出場機会を得ました。
そして金沢のJ2残留に貢献します。
2018年はチームのトップスコアラーになりエースと呼ばれるまでになりました。
翌2019年はレンタル選手でありながら背番号10を任されています。
2020年(J2徳島ヴォルティス)
42試合17得点
2021年(徳島ヴォルティス)
36試合8得点
2020年は徳島で再度武者修行が始まります。
ただこの時点ですでにJ2では収まり切らない選手になっていました。
J2リーグで得点ランキング3位の成績を残しJ1昇格の立役者となります。
そして昨年はJ1でも通用することを証明しました。
固め打ちが多かったですがJ2降格クラブでの8得点は立派です。
2022年(サガン鳥栖)
27試合6得点
徳島がJ2に降格したため鹿島復帰かと思われました。
しかしJ1のサガン鳥栖に3クラブ目のレンタル移籍です。
出場数こそ多いもののほとんどが途中出場であり、絶対的なレギュラーではありません。
しかし短い時間の中でも得点できることを証明しました。
また得点した4試合は全勝です。
最初の頃はJ2でしっかり経験を積んでいました。
そのため鹿島からレンタル移籍をしていた理由もわかります。
しかし2020年からは結果を出しており復帰が待たれていました。
それでもずっとレンタル移籍なのは何か理由があるのでしょうか。
父親の垣田健も元サッカー選手でであり、1989年に当時JSL2部の住友金属に入団しています。
そしてリーグ戦開始前の1992年に1年間だけ鹿島アントラーズに所属となりました。
1992年はナビスコ杯のみの開催でしたが父親は1試合も出場できずに退団しています。
さらに弟の垣田将吾も鹿島アントラーズつくばジュニアユース、ユースと所属していましたがトップ昇格は叶いませんでした。
垣田はジュニアユース、ユース、そしてトップ昇格と順調に育ちました。
おそらく鹿島への想いは深いはずです。
1997年7月14日生まれであり来季は26歳になります。
年齢的にも鹿島復帰ならこのオフでしょう。
もし復帰がないのであれば次は他クラブに完全移籍となると思われます。
垣田にとってサッカー人生の別れ目となるオフとなりそうです。
サポーターの気持ちとしては一度チャンスを与えて欲しいです。
垣田家を背負い来年はカシマスタジアムのピッチで大暴れしてほしいと思います。
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