現地時間10月9日にイタリア・メディアの取材でレオナルドの日本行きの理由について本人の口から語られました。
やはりジーコから誘われたことが大きかったようです。
本当にジーコの存在は偉大です。
ジーコが1994年のサントリーシリーズ(第1ステージ)で引退をします。
そのため鹿島アントラーズは後継者を探していました。
そこでレオナルドが選ばれたわけです。
レオナルドは加入直前に行われていた1994年アメリカW杯にブラジル代表として選出されています。
そして本来はMFの選手ですがその時は左サイドバックで出場していました。
決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で相手選手と競り合った際に顔面への肘打ちが取られレッドカードで退場処分となってしまいます。
さらにW杯残り全試合出場停止という厳しい判定になります。
結果的にブラジルは優勝しますが本人は不完全燃焼な大会となってしまいました。
しかしそれまではスタメンで出場しておりレオナルドの活躍なしには優勝は成し得なかったでしょう。
そしてW杯が終わり1994年のニコスシリーズ(第2ステージ)から鹿島アントラーズに加入します。
加入当時24歳であり現役バリバリのブラジル代表の加入ということで世界中で大きく報じられました。
いくら日本のレベルが低くともJリーグ入りした世界の大物が簡単に成功するほど甘い世界ではありません。
そんな中レオナルドは世界基準のプレーを見せてくれました。
Jデビュー戦となった1994年8月13日ニコスシリーズ第2節のヴェルディ川崎戦でいきなりゴールを決めます。
その翌年の1995年11月1日のニコスシリーズ第19節横浜フリューゲルス戦で決めたリフティングゴールは、Jリーグ20周年企画「Jクロニクルベスト」で過去20年のゴールで第1位に選出されました。
以下にYouTubeのJリーグ公式チャンネルを貼り付けておきます。
今見ても鳥肌ものです。
幼き頃の私もレオナルドのプレーにぞっこんになり鹿島アントラーズに没頭するきっかけとなりました。
日本には2年間いましたがリーグ戦では49試合30得点という素晴らしい成績を収めます。
短い期間の在籍ではありましたが未だに話題に上るほど人気があります。
また日本サッカーとしても人気が高く日本代表の次期監督候補としても毎回のように名前が挙がってきます。
現在は2019年6月からパリ・サンジェルマンのスポーツディレクターに就任しています。
そのため日本サッカーに関わることは現実的ではないかもしれません。
しかしどうしても期待してしまうエピソードがあります。
私は2015年10月12日にレオナルドが来日しANAインターコンチネンタルホテル東京で行われたトークショーに参加しました。
もう日本から離れて20年近くも経つのに片言の日本語を覚えていて話しかけてくれました。
レオナルドからとても日本への愛を感じました。
そしてその時に機会があればいつか日本サッカー、鹿島アントラーズに携わる仕事がしたいと言ってくれました。
リップサービスが込められていることは重々承知です。
でもあの時のレオナルドの顔は真剣でした。
ジーコの次はレオナルドがテクニカルディレクターとして帰ってきてくれたら最高です。
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