垣田裕暉、満を持しての復帰でエースへ駆け上がれ

鹿島アントラーズ

12月25日にサガン鳥栖にレンタル移籍中であった垣田裕暉が復帰することが発表されました。

2016年のルーキーイヤーのみ鹿島アントラーズに所属していましたが、その後6年間もレンタル移籍をしていた選手です。

11月23日にはスポニチでサガン鳥栖への完全移籍の報道もあり退団も覚悟していました。

それがついに長い武者修行を終えて復帰となります。

ようやく垣田に鹿島でのチャンスが巡ってきました。

垣田はジュニアユース、ユース、そしてトップ昇格と鹿島一筋で育ちました。

父親の垣田健も1989年に当時JSL2部の住友金属に入団しています。

そしてリーグ戦開始前の1992年に1年間だけ鹿島アントラーズに所属となりました。

そのため親子2代で鹿島アントラーズです。

鹿島での親子2代はアルシンド(1993年、1994年)と息子のイゴール(2011年)に次ぐ2例目でした。

さらに弟の垣田将吾も鹿島アントラーズつくばジュニアユース、ユースと所属していました。

まさに鹿島のサラブレッドです。

垣田の世代は鹿島ユースの黄金世代でした。

高校2年生の2014年にはJリーグユース選手権大会で優勝します。

ただこの時は1学年上に鈴木優磨がおり、鈴木中心のチームでした。

しかしユース最終学年の2015年には垣田が中心となり高円宮杯U-18サッカーリーグチャンピオンシップでガンバ大阪を1−0で下し日本一になっています。

未だに鹿島アントラーズユースがこの大会で優勝したのはこの一度だけです。

非常にまとまりのあるいいチームでした。

そのユース黄金世代から2016年に町田浩樹、平戸太貴、田中稔也、そして垣田の4人がトップ昇格を果たしています。

そして期待通り垣田は1年目からリーグ戦に出場します。

これまで鹿島で高卒選手がルーキーイヤーにリーグ戦でスタメンデビューしたのは内田篤人(2006年第1節)、垣田裕暉(2016年2nd第3節)、山田大樹(2020年第10節)の3人しかいません。

ただチャンスをものにできず翌年からレンタル移籍となってしまいました。

それでもJ2、J1でしっかり結果を出し成長して戻ってきてくれました。

187cmとサイズがあり相手DFに競り勝つ高さ、強さがあります。

それでいてスペースへの抜け出しを繰り返し行い、ボールを失ってもすぐに前線から激しいプレッシングをしてくれます。

本当に得点を取る以外のプレーに磨きがかかりました。

まずは垣田のライバルは新加入の知念慶になりそうです。

2人とも同世代でありCFタイプのためどちらかの起用となるでしょう。

切磋琢磨しいいライバル関係を築いてほしいです。

垣田ほど長くレンタル移籍をしていた例はありませんでした。

それでもずっと放出しなかったのはクラブが覚醒を待っていたからに違いありません。

そして今オフにようやくクラブから戦力になると判断されたわけです。

鹿島サポーターもずっと復帰を心待ちにしていました。

垣田はどこに行っても愛される選手です。

これまで所属したツエーゲン金沢、徳島ヴォルティス、サガン鳥栖のサポーターも鹿島での成功を願っているはずです。

私は来季リーグ優勝できるかは垣田にかかっていると思います。

垣田が二桁得点できれば優勝に大きく近づくでしょう。

これまで6年間色々想うことがあったはずです。

全てはいい経験だったと思えるような飛躍を遂げてほしいですね。

機は熟しました。

今までの鬱憤を晴らすゴールを量産してください。

そして鹿島のエースに名乗り出てほしいと思います。

垣田裕暉は今オフが鹿島アントラーズ復帰のラストチャンスか
2022年のJリーグももう間もなく終わりを迎えようとしています。 例年よりも短かったとは言え、2月中旬に開幕し9ヵ月の長いシーズンです。 選手にはオフの期間は疲れをとってゆっくりしてもらいたいです。 ただ多くの選手にとって...

にほんブログ村 サッカーブログ 鹿島アントラーズへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました