鹿島アントラーズは6月27日の第20節コンサドーレ札幌戦に4−0で快勝しました。
そしてこの勝利をもってJ1リーグ初のホーム通算300勝を達成しています。
犬飼智也の鹿島のCBらしいコーナーキックからのヘディングゴールに始まり、ディエゴ ピトゥカの加入後初ゴール、常本佳吾のプロ初ゴール、エヴェラウドの今季リーグ初ゴールと盛り沢山のゴールラッシュでした。
まさにメモリアルゲームに花を添える素晴らしい試合でした。
今年は例外ですが通常であればJ1は18クラブのホームアンドアウェイの2回戦で争われますので34試合制です。
鹿島は年間平均で20勝弱しています。
その内約10勝がホームゲームです。
Jリーグ草創期は試合数が多かった年もあったため300勝まで29年目で達成しています。
そのため次の節目の400勝までは今のペースでは10年後になります。
まだまだ道のりは長いですね。
応援しがいがあります。
そこで今回は節目の勝利をどんな試合内容で達成したのかを振り返ってみようと思います。
ホーム初勝利
1993年5月16日サントリーシリーズ第1節名古屋グランパスエイト戦 ○5−0
言わずと知れた鹿島アントラーズのJリーグ開幕戦です。
鹿島にはジーコ、名古屋にはリネカーと両チームに世界的なスーパースターがおり注目度は高い試合でした。
しかし地元の鹿島町はそれほど熱気に包まれておらず開幕戦の5スタジアムの中で最低観客数の10,898人となっています。
試合は前半にリネカーがネットを揺らすもオフサイドの判定で取り消されます。
このシーンはオフサイドか微妙なところであり、リプレイも無かったため未だに謎のままです。
ただ鹿島にとっては救われた判定でした。
その後はジーコのハットトリック、アルシンドの2ゴールで圧勝となります。
その勢いのまま初年度のファーストステージ優勝まで駆け上がりました。
ホーム100勝目
2001年4月29日1stステージ第6節浦和レッズ戦 ○2−1
前年の2000年に3冠を達成した翌年です。
モチベーションの低下からなのか3月11日のサンフレッチェ広島との開幕戦に勝利するもその後は1分3敗と4試合勝ちなしの状態でした。
その中で試合は柳沢敦の2ゴールでリードを広げます。
89分に元鹿島の阿部敏之に1点を返されますがどうにか凌ぎ切りました。
そしてこの勝利は旧国立競技場で成し遂げられています。
当時カシマサッカースタジアムは2002年の日韓ワールドカップの開催地に選ばれました。
国際試合に対応するため2000年9月から2001年5月までの間、改修工事が行われ使用できなかったのです。
そのため旧国立競技場を中心に富山県や福井県、鳥取県でもホームゲームが行われました。
今では考えられないですね。
ホーム200勝
2012年4月21日第7節セレッソ大阪戦 ○3−2
100勝から200勝の間は3連覇の時期もありましたが比較的中位の年度が多く11年もかかっています。
そして2012年もジョルジーニョ体制になり開幕から5試合勝ちなしと苦しいシーズンでした。
この試合も前半にキム ボギョンに2点を取られ0−2で折り返すことになってしまいます。
しかし後半はドゥトラが入ったことで流れが変わります。
57分にドゥトラが決めて1点を返すと62分にもドゥトラのクロスに興梠慎三が決めて同点にします。
これで鹿島に流れが来たところで70分に事件が起こります。
タッチライン側でドゥトラとキム ボギョンが競り合いドゥトラが倒れます。
そしてキム ボギョンがドリブルで前に行こうとしたところをドゥトラが足を掛けようとします。
空振りに終わるもこれに怒ったキム ボギョンが倒れているドゥトラ目掛けて強烈にボールを蹴り込みます。
これに鹿島の選手たちが怒り小笠原満男を中心に猛抗議です。
両チームの選手、スタッフも総出で乱闘寸前の大騒ぎになりました。
結局キム ボギョンにはイエローカードが出ただけで納得はいかなかったです。
しかしこれで鹿島の闘争心は燃え上がり85分に遠藤康のゴールで大逆転勝利を挙げました。
このように100勝の2001年、200勝の2012年、300勝の2021年とチームが苦しんでいる時期に不思議とメモリアル勝利を達成しています。
おそらく400勝は2030年か2031年に達成される見通しです。
もちろんそれより早く達成するよう応援していきたいです。
果たしてその時はどんなチーム状況でどのような試合で達成するのか楽しみです。
ちなみに200勝をした2012年から今年まで在籍しているのは遠藤康と土居聖真のみです。
次の400勝まで現在のメンバーで誰が残っているかも注目したいと思います。
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