サッカーで背番号10はエースナンバーです。
この10番の歴史は古く、ブラジル代表のペレが1958年のスウェーデンW杯で17歳で大活躍し優勝に導いたことに始まります。
当時は監督がランダムに背番号を抽選で割り振り偶然ペレが10番になりました。
この番号がここまで大きなものになるとは本人も思っていなかったでしょう。
今ではサッカーをプレーする選手なら一度は付けてみたい番号になっています。
そんなエースナンバーですが、鹿島アントラーズでも背番号10が幾度もタイトル獲得に貢献しています。
Jリーグでは1997年から背番号固定制が導入されました。
その初年度の1997年にヴェルディ川崎から移籍してビスマルクが初代10番となります。
当時のヴェルディは黄金チームであり、鹿島は1993年のJリーグチャンピオンシップで敗れリーグ優勝を逃しています。
ビスマルクはそのヴェルディでバリバリのレギュラーであり多くのタイトルを獲得してきました。
しかもライバルクラブからの移籍でありかなり驚きました。
後に語られますがジーコの誘いであったため移籍を決断したようです。
27歳というスポーツ選手の全盛期での移籍であり鹿島でもヴェルディと同じくらいの活躍をしてくれます。
以下が成績です。
ビスマルク(1997年〜2001年)
個人成績
リーグ戦137試合33得点
個人タイトル
Jリーグベストイレブン(1997年)
タイトル
Jリーグ(1998年、2000年、2001年)
カップ戦(1997年、2000年)
天皇杯(1997年、2000年)
鹿島在籍5年間で7つのタイトルを獲得する優勝請負人でした。
1997年には鹿島史上最強チームの主軸として君臨し、2000年にはJリーグ史上初の3冠を達成します。
個人成績でも鹿島での外国籍選手のリーグ戦最多出場となっています。
抜群のボールキープ力で中盤を支配します。
スルーパスやフリーキックなど見せ場も多かったです。
1998年のジュビロ磐田とのチャンピオンシップ第2戦では1ゴール、1アシストで優勝を手繰り寄せます。
後の小笠原満男に大きな影響を与えることになりました。
そしてビスマルクが退団し次に10番を付けたのが本山雅志です。
1998年に黄金世代の一員として入団し着実に成長してきました。
まだスーパーサブであり絶対的なレギュラーではありませんでしたが今後の鹿島を背負う選手であろうとのことで10番になります。
そして見事期待に応えてくれました。
以下が10番としての成績です。
本山雅志(2002年~2015年)
個人成績
リーグ戦307試合29得点
タイトル
Jリーグ(2007年、2008年、2009年)
カップ戦(2002年、2011年、2012年、2015年)
天皇杯(2007年、2010年)
14年間も10番を背負い続けました。
もの凄い重圧の中で9つのタイトルを獲得しています。
2007年からのJリーグ3連覇は本山なしには達成できませんでした。
その2007年は34試合全試合出場を果たします。
そしてリーグ優勝を決めた際のインタビューでの「やっと自分の背番号に星が追いついた。」は史上最高の名言でした。
若い頃はサイドのドリブラーとしてプレーし、晩年はパサーとしてプレースタイルを変えながら長く活躍してくれました。
最後は水腎症や怪我も重なり出番は減りましたが腐らず若手の見本になり続けました。
病気や怪我がなければもっと成績を残せたかもしれません。
そして柴崎岳です。
上記のように長く本山が10番を付けていたため1年のみのでした。
しかしその年が鹿島にとって大きな年となります。
そのため深く記憶に残ることになりました。
柴崎岳(2016年)
個人成績
リーグ戦31試合4得点
タイトル
Jリーグ(2016年)
天皇杯(2016年)
どんな状況でも冷静に試合をコントロールできるゲームメイカーです。
ビスマルクとも本山とも違う特徴を出し10番を自分のものにしました。
そしてチャンピオンシップでは浦和レッズとの大激闘を制し7年ぶりの年間チャンピオンになります。
天皇杯も優勝し2つのタイトルを獲得しています。
さらにクラブワールドカップ決勝でレアル・マドリードからの2ゴールは世界中を驚愕させました。
シーズン後にスペイン2部リーグのCDテネリフェへと飛び立っていきました。
柴崎は1年だけではありましたが鹿島の歴史に残る活躍を見せてくれました。
おそらく多くのサポーターの記憶に新しいところではないでしょうか。
その後は金崎夢生(2018年)、安部裕葵(2019年)と2人連続で半年で移籍をしてしまいました。
そのため2年半もの間10番が不在になります。
そして今季久しぶりの10番が荒木遼太郎です。
荒木は昨年は13番としてリーグ戦で10得点7アシストと結果を残します。
そしてJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞し10番に昇格しました。
鹿島では13番はエースナンバーであり、いくら10番と言えども異例の変更です。
東福岡高校時代は10番であり本人が志願しての変更だったようです。
荒木はすでに海外クラブから目を付けられており移籍は時間の問題です。
そのため鹿島でのプレーもそう長くはないでしょう。
柴崎のように1年だけであっても語り継がれるようなプレーを見せてほしいです。
そしてチームにタイトルをもたらしてほしいと思います。
海外移籍をする際には祝福して送り出せる環境を整えてあげたいですね。
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