5月28日は柴崎岳の誕生日です。
1992年生まれなので今年で30歳になります。
若い時からプラチナ世代の筆頭として宇佐美貴史や宮市亮らとともに将来を期待された選手でした。
そして順調に育ち鹿島アントラーズでは10番を背負い、海外移籍を果たします。
日本代表としても2018年のロシアW杯に出場しベスト16に大きく貢献しました。
そんな柴崎も30歳かと思うと時の流れを感じます。
まだまだ成長できると思うのでクラブでも代表でも活躍を期待しています。
柴崎は青森県上北郡野辺地町出身で、9歳上と3歳上に兄がおり3兄弟の末っ子として生まれます。
そして兄の影響で地元の野辺地SSSでサッカーを始めました。
歳の離れた兄たちと一緒にサッカーをしていたため小学生の時には地元で有名な選手になっていました。
中学からは親元を離れ青森山田中学に入学します。
中学生2年生で名門青森山田高校の練習に参加するなど異次元の存在でした。
青森山田高校では1年生から10番を背負い司令塔としてゲームをコントロールします。
そして2年生で出場した第88回全国高等学校サッカー選手権大会では準優勝を果たしました。
決勝で敗れたため多くの生徒が涙する中で表情を変えない柴崎が印象的だったことを覚えています。
自分はこれからもっと上のステージに行くのだという意思を感じました。
この活躍もあり、高校2年生の時にアントラーズ史上最速で内定をしています。
そして2011年に土居聖真、昌子源、梅鉢貴秀と高卒同期4人で入団します。
この中で最も早く活躍し、2011年4月29日のJ1第8節アビスパ福岡戦でデビューしており後半戦にはレギュラーになっています。
高卒1年目ながら13試合に出場し確実に将来の鹿島を背負う選手になるであろうと予感しました。
すると翌年にはすぐにレギュラーポジションを奪ってしまいます。
その2012年にはナビスコカップ決勝で2ゴールを挙げ自身はMVPを獲得しチームを優勝に導きます。
さらにJリーグではベストヤングプレーヤー賞を受賞と飛躍を遂げます。
そして2016年には伝統の背番号10になりJリーグ、天皇杯の2冠に貢献です。
柴崎を世界的に有名にしたのはその年末に行われたクラブW杯でしょう。
鹿島アントラーズは快進撃を続けアジアクラブ初の決勝進出を果たします。
決勝ではレアル・マドリードから2得点を決めており世界一まであと一歩というところにまで迫りました。
この活躍でシーズンオフにスペイン2部リーグのCDテネリフェへの海外移籍が実現します。
今オフでテネリフェ、ヘタフェ、ラ・コルーニャ、レガネスと4クラブで6年間を過ごしました。
適応障害や怪我、起用方法などで出場機会が減った時期もありましたがよくここまでやってきたと思います。
そろそろ鹿島復帰の時期は近づいているのではないでしょうか。
現在の柴崎の契約期間は2023年6月30日となっています。
また最新の市場価値は100万ユーロ(約1億3600万円)です。
市場価値の最高額は2018年の7月の300万ユーロでした。
当時から1/3になっているので今なら鹿島も手を出せそうな金額に落ち着いています。
柴崎の移籍以降、鹿島にはゲームメイクできるボランチがいなくなり国内タイトルから遠ざかっています。
それほど稀有な存在です。
昨年2021年6月27日の第20節コンサドーレ札幌戦で上映された「SQUAD NUMBERS〜背番号の記憶〜」では鹿島のインタビューに登場しました。
そこではいつか鹿島の10番として戻る姿を想像していると話しています。
その言葉を信じてずっと待っています。
また一緒にタイトルを獲得したいです。
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