4月17日は名古新太郎の誕生日です。
1996年生まれなので今年で27歳になります。
大卒でプロ入りしているため今季がプロ5年目です。
鈴木優磨や樋口雄太と同学年になります。
スポーツ選手として最も脂が乗る年齢です。
今回はそんな名古の紹介をしたいと思います。
名古は熊本県生まれで大阪府大阪市で育ちます。
幼稚園年中でサッカーを始めるとすぐにのめり込んだとのことです。
そして小学校4年生から中学生まで大阪東淀川FCという地元のクラブでプレーをしていました。
幼い頃からプロサッカー選手を目指していたため高校は強豪校を希望していたようです。
そこで静岡学園から声が掛かり入学することになります。
1年、2年ではほとんど出番はない中で静学の厳しい練習に耐えテクニックを身に付けることになりました。
高校3年生では背番号10を背負う選手となり静岡学園の4年ぶり11回目の全国高校サッカー選手権大会にも出場します。
2年生の旗手怜央と中盤を形成しますが準々決勝で日大藤沢高校に惜しくも1−2で敗れてしまいます。
名古は大会を通じて2ゴールを挙げ、優秀選手に選ばれるもののプロからの誘いはありませんでした。
そして先輩が多く行っていたと理由でスポーツ推薦で順天堂大学に入学することになります。
大学では1年生からコンスタントに出場し全日本大学選抜にも入るほどでした。
さらに大学3年生の時にユニバーシアード日本代表に選出され金メダルを獲得します。
この頃には世代屈指のMFになっていました。
すると大学3年生時の2017年11月に2019年の鹿島アントラーズ入団が内定します。
卒業まで1年4ヵ月前の内定でJリーグ最速記録を更新です。(それまでは柴崎岳の入団前年の高校2年時1月に内定が最速)
そして大学4年生の2018年には特別指定選手として第21節名古屋グランパス戦でJリーグデビューも果たします。
正式に入団した2019年はルーキーながらリーグ戦に15試合の出場を果たすなど順調なプロ生活を送り出したかに思えました。
しかし2年目の2020年はリーグ戦に8試合の出場でスタメンはわずか1試合と苦しみます。
そのため2021年は湘南ベルマーレにレンタル移籍をしました。
湘南ではすぐにポジションを掴みましたが悲劇が襲います。
せっかく出場機会を得ていたのに8月に左腓骨筋腱亜脱臼をしてしまうのです。
その後12月に手術をし全治3ヵ月と公表されます。
その中で2022年に鹿島に復帰をしました。
鹿島で公式戦に出場できたのは9月であり結局1年以上ブランクが空いてしまいました。
今季はカップ戦に1試合出場したのみでリーグ戦にはベンチ入りもできていません。
戦力になれておらず厳しい現状です。
近年鹿島アントラーズは出番の少ない選手を積極的にレンタル移籍させてきました。
しかしそのほとんどが片道切符で復帰することすらありません。
2013年から日本人選手で若手から実力者まで12選手が鹿島にレンタルから復帰することなく移籍をしてしまいました。
また復帰してもポジションを掴めず他クラブに完全移籍をしてしまった3選手もいます。(鈴木隆雅、平戸太貴、小田逸稀)
今現在復帰したのは名古を筆頭に垣田裕暉、染野唯月、須藤直輝といます。
垣田こそリーグ戦でベンチ入りはしていますが途中出場ばかりです。
このようにここ10年ではレンタルから復帰して主力となっている選手は1人もいませんでした。
唯一の成功例は鈴木隆行しか見つかりません。
1995年に鹿島に日立工業高校から入団もほとんど出番はありません。
そのため1997年からブラジルのCFZ、ジェフユナイテッド市原、川崎フロンターレと3クラブのレンタル移籍をします。
その後2000年に復帰すると3冠に貢献し翌年から日本代表にまでなります。
さらに日韓W杯に出場し海外移籍もしました。
この鈴木以降20年以上もレンタル移籍が成功していないクラブも珍しいのではないでしょうか。
名古は168cmと小柄ですが体が強く静岡学園出身とあってテクニシャンです。
大阪東淀川FCー静岡学園のルートを作り松村優太の加入の手助けもしました。
そろそろ自身の活躍も見たいです。
現在の鹿島のボランチは激戦区です。
おそらく現状では5番手、6番手かと思います。
ここからどこまで這い上がれるでしょうか。
名古が中盤で輝き出した時、鹿島の攻撃が活性化するかもしれません。
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