12月2日にジーコテクニカルディレクターの退任がスポーツ報知で取り上げられました。
かねてより噂がありましたがクラブ幹部が正式に明かしたとのことでほぼ濃厚です。
これからはアドバイザー的な役割になりブラジルに帰国するようです。
そのためジーコとは一区切りが付く形になりました。
ジーコは1953年3月3日生まれであり来年の3月で69歳になります。
最近は杖をつく姿も見られ体調面での理由が大きいようです。
鹿島アントラーズがここまでクラブとして成功できたのはジーコの功績がとても大きいです。
現役時代はブラジルのスーパースターであり白いペレと呼ばれていました。
そして数々の栄光を手に入れ1989年の36歳で現役を引退します。
翌年1990年にはブラジルのフェルナンド・コロール・デ・メロ大統領よりスポーツ担当大臣に任命されました。
1年間は政治的な職を全うしていましたが運命のオファーが届きます。
それが鹿島アントラーズです。
当時ジーコは現役復帰にあまり乗り気ではありませんでしたがサッカー発展途上国でプロリーグができること、さらに町おこしも兼ねていることに魅力を感じ現役復帰をします。
そしてJリーグが開幕する2年も前から来日しサッカーの基礎を叩き込んでくれました。
1991年、1992年はまだアマチュアの日本サッカーリーグ2部の住友金属でプレーをしていたのです。
そこでは格の違いを見せつけ22試合に出場し21得点を挙げ得点王になっています。
その後は1993年5月16日のJリーグ開幕戦でハットトリックをし鹿島アントラーズの名を全国区に押し上げます。
1994年のサントリーステージ(第1ステージ)で今度こそ引退しますが41歳とは思えないプレーを最後まで見せてくれました。
引退後も鹿島との関係は良好で1996年から2002年と2018年7月から現在と2度に渡ってテクニカルディレクターとしてチームの強化を担当しています。
最初のTD時代は1996年の初タイトルとなるリーグ優勝に始まり、1997年ナビスコ杯、天皇杯のダブル、1998年リーグ優勝、2000年の3冠、2001年リーグ優勝、2002年ナビスコ杯と9個のタイトル獲得をしています。
鹿島の第一次黄金時代でした。
また秋田豊、名良橋晃、相馬直樹から若き柳沢敦、小笠原満男、中田浩二などといったと多くの日本代表も輩出しています。
さらに当時の若手が20代後半になった2000年代後半にも次の黄金期がやってくるといった好循環を生み出しました。
今回のTD時代は獲得タイトルは2018年のACLのみです。
しかしこれからACLの決勝トーナメントが始まるという絶妙なタイミングでの復帰でした。
そのためチームが引き締まり悲願であったアジア制覇を達成できています。
今鹿島アントラーズは苦しんでいます。
これは三竿健斗がリーグ最終戦のセレモニーで発言しましたが外から見ていても明らかです。
それでも上田綺世、荒木遼太郎、町田浩樹、常本佳吾など近い将来日本代表に定着できる逸材は多くいます。
彼らに三竿健斗や土居聖真といった軸がしっかりしていれば必ずもう一度黄金期はやってくると信じています。
オミクロン株の流行が懸念されておりジーコもブラジルに帰国すれば次はいつ来日できるかわかりません。
来年は序盤戦から好調をキープし良い情報をブラジルに届けたいです。
そして年末にはリーグ優勝がかかった試合でスタジアムに来てもらえたら最高ですね。
本当に愛する鹿島アントラーズをここまでのクラブに育ててくれてありがとうございます。
ジーコには感謝しかありません。
ブラジルに帰られたらまずはゆっくりしてもらいたいです。
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