初のシーズンダブル【3冠目1997年天皇杯】

鹿島アントラーズ

今回は1997年の天皇杯優勝(第77回大会)について振り返ります。

不定期企画の第3弾です。

天皇杯はJリーグ初年度の第73回大会決勝(1994年1月1日)に進出していました。

しかし横浜フリューゲルス相手に90分を終えて2-2の同点で延長戦に突入します。

この時はVゴール方式でなく普通の延長戦でした。

延長後半の112分にゴールを決められるとそこから7分で4失点し2−6でタイトルを逃しました。

鹿島アントラーズとして初めてタイトルの懸かかった試合であり悔しさしか残りませんでした。(1993年のJリーグチャンピオンシップは1994年1月9日と1月16日開催であったため)

その年から4年の時を経て遂に天皇杯のタイトルを手にすることができました。

早速振り返っていきます。

当時はリーグ戦の終了した11月末から天皇杯の1回戦が始まり1ヵ月ほどの短期集中型のトーナメント戦でした。

この年も1回戦は11月30日にアマチュアクラブや大学の対戦からスタートしています。

鹿島アントラーズの初戦は12月17日の3回戦になる順天堂大学でした。

順天堂大学は2回戦で当時JFLのブランメル仙台(現在のベガルタ仙台)を1−0で完封しています。

また鹿島は12月13日にチャンピオンシップでジュビロ磐田に敗れリーグタイトルを逃したばかりです。

まだ傷が癒えない中での試合でジャイアントキリングをされないか心配でした。

しかしそこはプロの維持を見せます。

ベストメンバーで望み4−1でしっかりと勝利を収めます。

そして次の試合も3日後ですぐにやってきます。

4回戦は12月20日のアビスパ福岡です。

しかも会場が鹿児島県立鴨池陸上競技場であり長距離移動を伴いました。

それでも6−0で快勝し準々決勝に駒を進めます。

準々決勝は12月23日にガンバ大阪との対戦でした。

流石にこの試合になると連戦の疲れが見え始めます。

またガンバは実質5バックでガッチリ守備を固めてきたためボールを持つことはできますが決定機は作れません。

圧倒的なボール支配率ではありましたが見せ場のないまま0−0で前半を終了します。

ハーフタイムにジョアン・カルロス監督からサイド攻撃をするようにと指示があったようでピタリとその戦術が当たります。

50分に左から相馬直樹のクロスをマジーニョが頭で決めて先制します。

その後は鹿島のペースを崩さずにジョルジーニョ、マジーニョが追加点を決めて3−0で勝利しました。

決して調子がよくなかった中でも勝つことでチームの雰囲気はよくなります。

この年のアントラーズの底力を見せつけた試合でした。

そして準決勝は12月28日に東京ガス(現在のFC東京)でした。

当時はJFLでしたが3回戦で名古屋グランパスエイト、4回戦で横浜マリノス、準々決勝でベルマーレ平塚と3つのJクラブを撃破しており勢いに乗っていました。

JFLクラブで唯一のベスト4であり下のカテゴリーと言えども侮れない相手です。

しかも1994年の第74回大会では1回戦で0−2で敗れるという屈辱を味わっていました。

そのため絶対に勝ちたい相手です。

ここから会場は国立競技場になります。

そして試合は開始から東京ガスが前がかりで攻めてきます。

鹿島はそれを見逃さず前半8分にジョルジーニョのゴールであっさり先制に成功します。

その後もまた東京が攻めてきますが21分に今度はビスマルクが決めて2−0で前半を折り返します。

これで後半は鹿島ペースになり決勝進出をほぼ手中に収めたかと思われました。

しかし全く東京の気持ちは折れておらずさらにギアを上げて攻め立てます。

日本のプロのトップチームにこれほどアマチュアクラブが果敢に向かってくることは滅多にありません。

そして63分に1点を返しそこから猛攻が始まります。

しかし鹿島の勝負強さは健在でした。

86分に得たFKをビスマルクが一瞬の隙を突いて蹴るとマジーニョは落ち着いて決めて突き放しました。

これで3−1となり勝利しましたが予想以上に苦戦した試合でした。

ただ準決勝でこのような痺れる試合を経験したことで身が引き締まって決勝を迎えることができました。

決勝は1998年1月1日に国立競技場で行われます。

鹿島にとって2度目の決勝進出です。

相手は準決勝でジュビロ磐田を3−2で破った横浜フリューゲルスでした。

フリューゲルスには第73回大会決勝で負けておりこの舞台で再戦できることが嬉しかったです。

もしジュビロ磐田が来ていたら1997年度の国内3大タイトルの決勝が全て鹿島vs磐田というとんでもないことが起こるところでした。

鹿島はこの約1ヵ月でナビスコ杯決勝2試合、チャンピオンシップ2試合、天皇杯5試合と超過密日程です。

それでもここまで来たらきっとやってくれると信じていました。

決勝戦は比較的慎重な入りになるのでその試合もそうなるかと思っていました。

しかし4分にマジーニョのパスから増田忠俊が豪快に決めて早々と先制します。

前回にフリューゲルスと対戦した第73回大会決勝でも前半6分に黒崎比差支のゴールで先制しましたが追加点が取れず敗戦していましたので油断はできませんでした。

ただ決勝ではここまでの連戦の動きの悪さが嘘のようにパスが繋がり流れるような攻撃を繰り広げます。

そして25分には増田からマジーニョのゴールが生まれ2−0と試合を圧倒します。

これほど安心して見ていられる決勝も珍しかったです。

後半は守備に重点を置き隙あらばカウンターを狙っていました。

絵に書いたかのように狙いが嵌まり87分に柳沢敦の3点目が決まったところで勝負がつきました。

結果は3−0で天皇杯初制覇となります。

マジーニョはこの大会は5試合連続の7得点と大暴れでした。

史上最強と名高い1997年はナビスコ杯と天皇杯という2つのタイトルを獲ることができました。

これで前年のJリーグと合わせ国内3大タイトルを全て獲得しています。

ここから鹿島アントラーズの第1次黄金時代が始まります。

次回は4冠目となる1998年のJリーグ制覇です。

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