移籍によって成功した選手は【平戸太貴は化けるのか】

Jリーグ

サッカーは団体スポーツなのでチームに合う合わないはどうしても関係します。

どんなに才能がある選手でも所属クラブでは全く活躍しなかったのに移籍先では花咲くことがあります。

特に近年は移籍が活発になりその傾向は顕著になっています。

そこで今回は移籍により成功を収め日本代表にまで上り詰めた選手を紹介したいと思います。

まず1人目は森岡隆三です。
1994年に桐蔭学園高校から鹿島アントラーズに入団します。
ルーキーイヤーにリーグ戦に1試合出場しますが翌年も全くチャンスが回ってきません。
そして1995年のシーズン途中に清水エスパルスに移籍します。
当時は若手がすぐに移籍をする風習がなかったのでかなり驚きました。
すぐに清水で頭角を現わしポジションを掴むと日本を代表するセンターバックに成長します。
U-20日本代表として1995年カタールのワールドユース選手権に出場します。
その後も順調にステップアップし2000年のシドニーオリンピックにオーバーエイジで出場し、2002年の日韓W杯にも選出されています。
国際Aマッチは38試合出場にもなりおそらく鹿島にずっといたらこのようなキャリアを積むことはできなかったでしょう。

そして2人目は加地亮です。
1998年に滝川第二高等学校からセレッソ大阪に入団します。
当時セレッソはJ1でしたが1年目15試合、2年目9試合とまずまずの出場機会はありました。
しかしレギュラー奪取とはならなかったためJ2大分トリニータに移籍します。
ここでは2年間で75試合出場とフル稼働しチームに欠かせない選手になりました。
そこでの活躍が認められ2002年にFC東京に移籍します。
ここから加地のキャリアが加速します。
2003年にはA代表に初選出されます。
さらに2006年にガンバ大阪に移籍しこの頃から日本を代表する右サイドバックになります。
2004年と2007年のアジアカップに出場し2006年のドイツW杯もレギュラーとして出場しました。
国際Aマッチは64試合出場2得点と素晴らしい成績を残しています。

ここから2人は現役の選手で今は海外でプレーするほど大きく羽ばたきました。

まずは乾貴士です。
2007年に野洲高等学校から横浜F・マリノスへ入団します。
高校2年時に出場した第84回全国高等学校サッカー選手権大会ではセクシーフットボールと呼ばれる魅力的なサッカーで優勝しています。
乾にマリノスのイメージがない方も多くいるのではないでしょうか。
1年半の在籍でリーグ戦7試合にしか出場できず2008年6月にJ2のセレッソ大阪に移籍します。
ここから2011年までプレーしますが香川真司と共にJリーグを席巻します。
特に2009年はJ2で無双状態で47試合20得点とJ1昇格に大きく貢献しています。
またこの年の1月20日アジアカップ予選イエメン戦でA代表デビューとなりました。
そして2011年8月1日にドイツ2部のVfLボーフムに完全移籍で海を渡ります。
翌年には1部のフランクフルトに移籍し3年後にはラ・リーガ1部エイバルにステップアップします。
同リーグのベティス、アラベスと移りまたエイバルに戻ってきました。
ここまでラ・リーガ138試合15得点は日本人1位です。
また国際Aマッチは36試合6得点ながら2018年ロシアW杯では2ゴールを挙げ日本のベスト16の立役者になっています。

そして中島翔哉です。
中島の場合は少し特殊で日本では結果は出ずに海外移籍をしてから日本代表になった選手です。
東京ヴェルディユース出身で2012年10月に高校3年生でトップ昇格します。
2種登録選手だった2012年9月14日のJ2第33節アビスパ福岡戦でJリーグ初出場しいきなりゴールを決めます。
さらに第39節栃木戦ではハットトリックを記録し18歳59日での達成はJリーグ最年少記録です。
このように順調にデビューはしましたがその後は壁に当たります。
ヴェルディでは2年半でさほど出場機会を増やせません。
そして2014年の前半戦をカターレ富山、8月からJ1のFC東京に移籍します。
チームでは出番はなくともUー23日本代表の手倉森誠監督からは常に評価され続け立ち上げ時から10番として招集されます。
最後まで気に入られ2016年リオデジャネイロオリンピックにもレギュラーとして出場しました。
しかしFC東京では3年半所属しましたが目立つ成績は残せていません。
そのような状況でしたが2017年8月23日ポルトガル1部のポルティモネンセSCへ移籍します。
プレースタイルが海外向きだったようでここから活躍し出しました。
2018年3月24日のマリとの親善試合でついにA代表デビューをし初ゴールも決めます。
ロシアW杯の最終メンバーからは落選しますが、カタールW杯に向けて森保一が監督に就任するとレギュラーに定着します。
2018年、2019年の2年間だけで19試合5得点と十分な活躍を見せます。
南野拓実、堂安律と新ビッグ3と呼ばれ新時代を築くかと思われましたが長くは続きません。
なぜか所属クラブとトラブルが多くアル・ドゥハイル(カタール)、ポルト(ポルトガル)、アル・アイン(UAE)と転々とするうちに全く代表に呼ばれなくなりました。
まだこれからの選手なのでクラブで実績を積んで代表復帰をしてもらいたいです。

このように移籍は選手生命を大きく左右します。

どの選手も一つのチームに固執していたら日本代表にまでなれなかったでしょう。

また埋もれてすぐに引退していたかもしてません。

最後に鹿島関連の若手を紹介させてください。

それは現在23歳の平戸太貴です。
まだA代表どころかU-23日本代表にも選ばれていないため成功しているとは言えないかもしれません。
しかし今後海外移籍をし日本代表に食い込んでいる可能性はあります。
平戸は鹿島アントラーズジュニアユースからユースそして2016年にトップチームに昇格しています。
同期は4人おり現在鹿島でレギュラーになりつつある町田浩樹、徳島ヴォルティスにレンタル移籍中の垣田裕暉、ザスパクサツ群馬で活躍している田中稔也と豪華なメンバーです。
ボランチが本職ですが鹿島の層の厚さの前に1年目はカップ戦の2試合に出場できただけでした。
そのため翌年からJ2町田ゼルビアへ武者修行に出ます。
結果的に2年間いましたが2018年は40試合8得点17アシストとリーグアシスト王になりました。
その活躍を認められ2019年に満を辞してアントラーズ に復帰します。
J2とは言えこれほど活躍できた選手が鹿島でどれほどやれるのかかなり楽しみでした。
そして4月5日の第6節名古屋グランパス戦にスタメン出場し鹿島でのリーグ戦デビューをします。
しかしボランチではなく右サイドバックでの出場で53分に交代させられます。
結果的にこの1試合に出場したのみで8月1日に再度町田ゼルビアへ移籍してしまいます。
しかも今度は完全移籍であり鹿島からの別れを意味しました。
現在は町田で背番号10番を与えられ攻撃の中心選手です。
FKやCKも蹴っており相変わらずの精度を誇っています。
今シーズンの町田躍進の鍵を握る選手になっています。

本当はアントラーズで輝く姿を見たかったのですがそれはプロの世界では仕方ないことです。

元鹿島アントラーズの選手として今後も活躍を見守っています。

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