鹿島アントラーズの始まりの日【1993年5月16日】

鹿島アントラーズ

鹿島アントラーズは奇跡のクラブです。

1989年に日本でプロサッカーリーグの設立が具体化したことで鹿島の前身である住友金属工業蹴球団がプロリーグ参加を表明します。

しかし人口過疎が進む小さな田舎町でJSL2部に所属していたクラブは99.9999%不可能と言われていました。

それでも0.0001%の可能性に賭けます。

観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場を建設し大逆転で初年度からのJリーグ加盟が承認されました。

その後開幕を前にした1991年に元ブラジル代表のジーコが加入し大きな話題となります。

それでも他クラブからすれば戦力は整っておらず解説者の中には最下位予想もあったようです。

そんな大きな不安を抱えながらJリーグが開幕することになります。

1993年5月16日に名古屋グランパスエイトと県立カシマサッカースタジアムで開幕を迎えることになりました。

当時の名古屋はグランパスエイトという名前でした。

英語で名古屋城の金の鯱を表すグランパスと名古屋市の市章と縁起の良い末広がりのエイトを足してグランパスエイトとなったようです。

鹿島にはジーコ、名古屋にはリネカーという世界的なスターがあり注目度は高かったです。

ただ地元の鹿島町ですらそれほど熱気に包まれておらず、開幕戦の行われた5会場中最低10,898人の観客しか入りませんでした。

しかしそんな状況もたった1試合で変わります。

いきなりジーコのハットトリック、アルシンドの2ゴールで5−0の勝利とこれ以上ない最高のスタートを切りました。

その後ホームゲームは毎試合満員になりチケットは手に入れることが難しくなります。

さらに快進撃が始まり1stステージを制覇と結果も伴いました。

それほど開幕戦がチームに与えた影響は大きなものでした。

そして30年が経過した2023年5月14日、鹿島と名古屋の同じカードで対戦が実現します。

舞台は30年前から新しくなった国立競技場です。

Jリーグ30周年記念スペシャルマッチとして開催されます。

スタジアム周辺はお祭りムードに包まれ多くの家族連れのサポーターも目にしました。

キックオフ前には30周年記念映像が放映されたり、RADWIMPSのオープニングセレモニーがあったりと記念試合に相応しい豪華さがありました。

そんな中試合は伝統的な鹿島らしい試合運びを見せてくれます。

前半にセットプレーから先制すると手堅い内容で時計の針を進めていきます。

そして隙を突いて追加点を挙げ2−0で完勝となりました。

30年前と同じく完封勝利です。

流れるようなパスワークがあったわけでもスーパープレーがあったわけでもありません。

しかし終わってみれば勝っているという往年の勝負強さを垣間見られた試合でした。

今回の試合に出場したほとんどの選手はJリーグ開幕時に生まれていません。

それでも伝統は引き継がれ鹿島アントラーズであり続けています。

これまでJリーグ8回、カップ戦6回、天皇杯5回、ACL1回の合計20冠を獲得してきました。

他を寄せ付けない圧倒的なタイトル数です。

ただ2018年のACL制覇以降なかなかタイトルに手が届きません。

クラブもサポーターももどかしい時間を過ごしています。

今季も結果が出ずサポーターの怒りが爆発した時もありました。

ただようやく常勝軍団復活の兆しが見えてきました。

鹿島のストロングポイントは強固な守備です。

その守備力でクラブ史上初の同一シーズンにおけるリーグ戦5試合連続完封勝利を達成しています。

今の鹿島には危ないシーンを作られても決められないであろうという風格も感じるようになりました。

これは1990年台後半や3連覇時の雰囲気に通ずるものがあります。

あの頃に追い付き追い越すにはタイトル獲得をしなければなりません。

今の状態を維持できれば逆転でのリーグ優勝も射程圏内だと思われます。

必ず巻き返してやりましょう。

本当に鹿島アントラーズのサポーターで良かったと日々幸せを感じています。

これからもその喜びを味わいながら精一杯応援していきたいと思います。

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