8月6日にイゴールのJ2ヴァンフォーレ甲府への加入が発表されました。
背番号は17番に決まっています。
イゴールと言えばかつて鹿島アントラーズで大活躍したアルシンドの長男になります。
1993年1月8日生まれの29歳です。
今季の甲府は深刻な得点力不足によりJ2でも中位に沈んでいます。
J1昇格はかなり厳しくはなっていますがここから起爆剤になって欲しいです。
まだまだ活躍できる年齢なので期待しています。
イゴールはCFZ・ド・リオでアマチュアとしてプレーしていましたが18歳の時に鹿島の練習に参加します。
そして2011年にC契約で鹿島とのプロ契約を勝ち取りました。
鹿島が日本でいう高卒1年目の外国籍選手をアマチュアから契約を結ぶのは初めてでした。
後に2014年に千葉国際高校からカイオが同じようにC契約で加入しています。
このイゴールが鹿島史上初めて親子2代に渡りプレーすることになります。
しかしまだ若くほとんど試合に絡むことはできませんでした。
そして残念ながら1年で退団することになってしまいます。
まずはアルシンドとイゴールの鹿島でのリーグ戦の成績です。
アルシンド(1993年〜1994年)
71試合50得点
イゴール(2011年)
2試合0得点
アルシンドは鹿島に2年しか在籍していませんでしたが未だに語り継がれるほどレジェンドになっています。
リーグ戦50得点は土居聖真と並び鹿島歴代得点ランキング7位タイです。
あのカッパ頭も一度見たら忘れられませんね。
しかしイゴールはリーグ戦に2試合出場したのみです。
実質高卒ルーキーだったのでもう少し契約してチャンスを与えてあげてもよかったかもしれません。
そして鹿島退団後はブラジル、香港、中国を渡り歩き10年ぶりにJリーグ復帰です。
特に香港では大活躍でした。
2018-2019シーズンは大埔足球会でリーグMVP、2019-2020シーズンは富力R&Fでリーグ得点王に輝きます。
力をつけて日本に戻ってきたので今度はJリーグでのゴールが見たいです。
次に鹿島での親子2代の2組目は垣田親子になります。
まず父親の垣田健は日本サッカーリーグの住友金属工業蹴球団に所属していました。
そしてJリーグが開幕する前年の1992年に鹿島アントラーズの選手となります。
この年はリーグ戦に先駆けてナビスコ杯が先に開幕しました。
しかし1試合も出場することなく1年で退団することになってしまいます。
その後長男の垣田裕暉が2016年にユースからトップに昇格し鹿島に親子2代での所属となります。
まずは2人の鹿島でのリーグ戦の成績です。
垣田健(1992年)
なし
垣田裕暉(2016年)
3試合0得点
息子の垣田裕暉はプロ1年目を鹿島で過ごします。
イゴール同様にルーキーイヤーからリーグ戦に出場するもゴールは決められません。
その後は今季まで6年間を他クラブにレンタル移籍を繰り返しています。
もうJ1でも実績を積んできているのでそろそろ戻ってきてもいい頃なのではないでしょうか。
垣田は父親の影響で子供の頃から鹿島アントラーズが好きだったとインタビューで語っていました。
このようにユースの選手はサポーターから選手になっているので応援したくなります。
ぜひ来季はもう一度鹿島でプレーしてもらいたいです。
Jリーグも開幕し30年が経ちました。
今後も歴史が続くにつれこのような親子2代の選手はどんどん増えていきます。
鹿島にも多くの親子2代が出てくると思うと楽しみは尽きません。
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