2人の天才の行方【本山雅志と野沢拓也】

鹿島アントラーズ

12月30日に鹿島サポーターにとって嬉しい知らせと悲しい知らせが同時に入ってきました。

それはかつて鹿島の第三次黄金時代を築いた攻撃的中盤のコンビを組んでいた本山雅志野沢拓也についてです。

まずは本山雅志の嬉しい知らせからいきます。

マレーシア2部リーグのクランタン・ユナイテッドFCに来季加入することが発表されました。

マレーシアリーグに日本代表経験(国際Aマッチ28試合出場)のある選手が参加するのは初めてです。

2019シーズンで当時J3のギラヴァンツ北九州を退団し今年1年は実家の鮮魚店を手伝いながらトレーニングをしていました。

先日の曽ヶ端を始め黄金世代が次々と引退していく中で現役に戻るため努力するのは大変な苦労があったことと思います。

その努力が報われて嬉しいですね。

2020年10月22日の最新のFIFAランクではマレーシアは154位です。

ワールドカップにも出場したことがなく発展途上の国であります。

またマレーシア国内ではサッカーは人気があるようですが実際プレーするのではなく、プレミアリーグなどヨーロッパのサッカーを観戦するのが人気のようです。

ぜひ本山の活躍でJリーグも人気が出るといいですね。

そんな本山雅志は鹿島で最も愛された背番号10番でした。

本山を振り返る上でいくつか語れられるエピソードがあります。

まずは高校時代です。

東福岡高校3年時は既に全国区の選手になっていました。

そしてその年には公式戦49勝2分無敗という記録を作り、インターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権の全てで優勝し高校サッカー史上初の3冠を達成します。

中でも雪の国立競技場で行われた中田浩二がいる帝京高校との高校選手権決勝は伝説です。

その後鹿島に入団しますが同期の中田や小笠原満男が先にレギュラーになる中でスーパーサブから中々抜け出せませんでした。

それは2002年にビスマルクから背番号10を受け継いだ後も3年ほど続きます。

やっと2005年になりレギュラーとして定着します。

ちょうど鹿島はその頃世代交代の転換期であり2003年からタイトルが獲れていませんでした。

そのため2007年のリーグ制覇で10冠目となった際のインタビューでの「やっと自分の背番号に星が追いついた。」は魂の言葉だったと思います。

そして2010年から病気や怪我に悩まされ続けましたが退団する2015年まで鹿島の顔であり続けました。

鹿島の10番をつけて14年もプレーするのは相当なプレッシャーがあったでしょう。

もうこのような選手は出てこないと思われます。

またリーグ戦365試合出場は鹿島歴代4位の偉大な記録です。

若い頃はドリブラー、中堅になってからはバランサーとしてチームを支えてくれました。

私は勝手に鹿島で引退すると思っていましたが本人はまだまだ現役を続けたいと2016年に地元の当時J2のギラヴァンツ北九州に移籍します。

北九州での4年間はずっと背番号43をつけていましたがそれは東福岡高校時代の練習着の番号でした。

初心に帰る意味があったようです。

地元でのプレーに意気込んでいましたが年々出番が減り最後の2019年はプロ入り初の公式戦出場0に終わり契約満了になります。

普通ならそこで引退になりそうな気がしますがそこで終わらないのが本山の凄いところです。

本山にとっては初の海外移籍です。

自分の決めた道を行く姿はカッコいいいです。

ぜひ本山雅志の復活を期待します。

次に野沢拓也です。

こちらは残念なことに今季限りでの現役引退を発表されました。

今年は関西1部社会人リーグで来季からJFLに昇格するFC TIAMO枚方に所属していました。

野沢本人は何が引退の決め手になったのかうまく説明できないとコメントしていましたがチームが一区切りついたことも理由の一つかもしれません。

野沢と言えば鹿島の背番号8像を確立した存在です。

こちらも少し振り返らせてください。

野沢は鹿島アントラーズユース出身であり高校生の時に2種登録されるほど将来を嘱望された選手でした。

そして高校3年生の1999年4月10日の1st第6節京都パープルサンガで90分にビスマルクに代わり途中出場でJリーグデビューします。

17歳241日でのリーグ戦出場は今だにクラブ最年少記録であり高校生で出場したのも野沢ただ1人です。

ただプロ入り後は2学年上が黄金世代だったこともあり5年ほどは出番があまりありませんでした。

そんな野沢の転機は小笠原のメッシーナへの移籍です。

その後はレギュラーになり2006年11月にはA代表に初選出(出場はなし)、そして2007年からは小笠原の8番を継承します。

その2007年シーズン終盤から大活躍しリーグは3連覇に貢献し2010年の天皇杯決勝では直接FKで決勝ゴールを決めます。

緊迫したシーズン終盤にめっぽう強いことからミスター・クライマックスと呼ばれ愛されました。

2011年もナビスコ杯優勝にリーグ戦全試合出場と絶対的なレギュラーであったにもかかわらず2012年にヴィッセル神戸に移籍してしまいます。

しかしヴィッセルがJ2に降格したことにより1年で鹿島に復帰することになります。

レンタル移籍でもないのにたった1年で移籍金を払い戻すことに不満を示すファン、サポーターも少なくなかった中でクラブは決断しました。

ただそれほど鹿島にとって重要な選手であったと思います。

復帰後は歯車が狂ったのか以前ほどの出番も活躍もできず1年半でベガルタ仙台に移籍してしまいます。

その後2018年はオーストラリアのウーロンゴン・ウルブス、2019〜2020年はTIAMO枚方でプレーしていました。

どのクラブでも抜群のプレースキックで多くの得点を演出してきました。

鹿島では通算で13年半おりリーグ戦は285試合(鹿島歴代8位)、55得点(鹿島歴代5位)となっています。

2人とも鹿島の歴史に名を刻む名選手です。

今後の新しい人生でのご活躍を願っています。

そしていつかは鹿島にコーチとして戻ってきて欲しいです。

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