歴代No1ストライカーは長谷川祥之

鹿島アントラーズ

鹿島アントラーズはこれまでJリーグ8度の優勝を始めタイトル数は20個と他クラブを圧倒する数字を残しています。

しかしクラブ規模の成功とは相反しMVP、ベストイレブンといった個人賞にはあまり縁がありません。

その中でも得点王は2008年のマルキーニョスただ一人であり鹿島の歴史を考えると意外です。

その鹿島アントラーズで最もゴールを決めているのがJリーグ草創期のエースであった長谷川祥之です。

リーグ戦261試合出場で89得点は鹿島のクラブ歴代得点記録です。

またアントラーズの公式戦130得点も1位の記録になっています。

2003年の1stステージをもって引退されましたが以後17年間彼を超える選手は出てきていません。

Jリーグ開幕後の1993年、1994年はアルシンド黒崎比差支の3人だけで得点を取ることができました。

アルシンドはリーグ戦50得点で歴代7位、黒崎はリーグ戦48得点で歴代9位と3人とも歴史に名を残すFWでした。

今だに3人が歴代トップ10に入っていることは当時どれほど凄かったかがわかると思います。

それぞれが特徴のある選手で相手DFにとっては厄介だったでしょう。

また長谷川、黒崎の2トップはクラブでの活躍が認められ日本代表でも見ることができました。

黒崎の方が先にA代表になっており長谷川は1995年に初招集となります。

1995年2月21日のダイナスティカップ韓国戦では黒崎比差支と日本代表戦に鹿島の2トップでスタメン出場します。(黒崎の1ゴールで1−1の引き分け)

この試合が鹿島史上初めて日本代表でのアントラーズ所属選手の2トップでした。

長谷川は身長179㎝でしたがヘディングが滅法強く空中で止まっているかのような選手でした。

そのため相手とバッティングしよく流血していた印象があります。

包帯を付けている写真や映像を見るととても懐かしいです。

また1995年8月26日のNICOSシリーズ第5節ガンバ大阪戦ではヘディングだけでハットトリックという偉業を達成しています。

なかなか見ない記録ですね。

引退後2007年からは鹿島ユースのコーチをしており鈴木優磨も指導していました。

鈴木優磨も長谷川に劣らず打点の高いヘッドが持ち味のストライカーです。

その鈴木は得意のヘディングについて「ユースのときに長谷川さんから教わった」と語っていました。

助言が次世代にしっかりと引き継がれていますね。

エースというのは得点数もそうですが勝負どころでのゴールが求められます。

まさに長谷川はそのような選手でした。

1996年から引退する2003年までゴールを決めた試合で負けないという不敗神話は34試合も続きました。

また2002年の日韓ワールドカップでカシマサッカースタジアムが会場に選ばれます。

そのため2000年9月6日のナビスコ杯準々決勝の横浜F・マリノス戦をもって約9ヵ月の改修工事に入ります。

そして改修工事が完了し2001年5月19日の1stステージ第10節柏レイソル戦が新しいスタジアムのこけら落としとなりました。

もちろん満員で36,365人の観客が訪れました。

その試合でも途中出場の長谷川が延長前半9分にVゴールを決めて3−2の劇的な勝利でした。

当時はVゴールがあったので盛り上がりましたね。

このようにキャリアの後半の2000年頃から痛めていた膝の状態が思わしくなく途中出場が増えましたが限られた時間の中で結果を出してくれました。

鹿島の中でも愛された選手の一人です。

その現役時代のチャントは今の日本人エース上田綺世に引き継がれています。

上田にも鹿島の歴史に残る活躍をしてもらいたいです。

30周年記念企画で公式HP内で背番号の記憶という映像がアップされています。

長谷川は11番の似合う男でした。

背番号固定制になった1997年から引退の2003年までずっと11番でした。

引退後は深井正樹とダヴィがFWで11番を付けていますが中盤の選手が付けることが多くなっています。

現在は和泉竜司が付けていますが得点を量産するタイプではありません。

初代の11番を知っている者からするとやっぱりFWがいいですね。

数年後には鈴木優磨が帰ってくると思うのでユース時代の11番を背負ってほしいです。

そしていつか長谷川祥之を超えるストライカーが誕生してほしいものです。

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